17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

『BNA』と『彼女、お借りします』/やはり身近に感じることでしか強く訴えかけられない

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Netflixオリジナル

TVアニメ『BNA ビー・エヌ・エー』第1弾PV - YouTube

BNA 視聴フル

トリガーと中嶋かずきさんがNetflixオリジナルとして公開した最新作『BNA』は、『プロメア』以降、過去の日本TVアニメやサブカルチャーのサンプリングで作る方向から一歩進んだところでできていると思います。

それよりも、アニメーションの方向が明らかに『ズートピア』以降にあわせたものを作ろうとしてますね。脚本のお話しちゃうとここの書き散らしのコンセプトとずれるんですが、中嶋かずきさんは『プロメア』からひき続き、いまのテーマである人種のマイノリティ・マジョリティのアナロジーとして物語を作っているのは明白でしょう。

 

ほかの脚本家を見ても、英語圏から進んでいるいろんな人種やセクシュアリティを描いていくこと方向が見られます。大河内一楼さんは『Devilman Crybaby』や『ぼくらの七日間戦争』にて、現代のガジェットも描きつつ、いろんな人種や性を持つ人を描いてるのが見えますね。昨年IGN JAPANにてお話を伺える機会があり、シンプルに現代に合わせることを意識したスタンスが心に残っています。

ただ「うまくいっているのだろうか?」とも思ってしまうのですね。中嶋さんが現代のテーマに合わせて今作に挑んでいるのは確か。でも『プロメア』のような感激が薄い。

たぶん描こうとしている人種間の問題が、当事者ではない人の想像でしかないからかもしれません。『ズートピア』が極端にファンタジックな世界であってもそこに人種間の危うさが見えるのは、アメリカではそれが現実にあるから。

ズートピア』がパワーを持っているのはそこなんですけど、『BNA』では日本がさまざまな国籍や人種とともに暮らしている現実の薄さが、そのままシナリオの地力の弱さに直結しています。

監督の吉成さんのアニメートも難しい位置にありますね。トリガーのクリエイティブが日米のリミテッドアニメを極めた方向に進んでいるのと比較すると(この解説については過去記事のこちらをお読みください)、吉成さんの「日本式の3コマ打ちの作画ベースで、リアリスティックな手触りのアニメートをする」方向とちょっとずれが生じていて、今石さんの監督作よりもアニメートのリズムがはっきりしないのもあります。

Netflixと反体制の神話

ここでNetflixオリジナルだからこそ、『BNA』もさまざまな人種や性のグラデーションを書く方向であった、という視点もあります。

最近興味深いテキストを読みました。DavitRice氏がはてなブログにて執筆している「THE★映画日記」にて、「Netflix(US)的価値観が良いことなのか?」という記事では近年のNetflix(US)の方向についての違和感をまとめています。

テキストの論旨はこうです。Netflixは人種や性の多様さを受け入れた作品を数多くリリースしているが、その評価においてNetflixの価値を先進的というのはあきらかに商業的な都合も見られるメディアである違和感。バーバラ・エレンライクの「ポジティブ病の国、アメリカ」を例に、同意できなさについて述べているわけです。

ぼくはこれを読んで、Netflixオリジナルがどういうものか言葉にできるかもしれないなと思いました。つまり、あれは「カウンター・カルチャーが結局商業的な消費文化になる」という危うさです。

 

 哲学者のジョセフ・ヒースは『反逆の神話』にて、反社会的なムーブメントだったはずのカウンターカルチャーがいかに商業的な方向へ収斂されたかを考察しています。日本版がフィデル・カストロのTシャツを表紙にしていることからも、革命や反体制であることがいちアイコンとして消費されてしまうことを見せています。

『反逆の神話』を思い出すと、Netflixオリジナルはまったくのカウンターカルチャーを商業化した端的な例だったことに気づきます。

今の社会に対して反体制や革命的であることが、アメリカでは人種や性のグラデーションの問題だった。これは実際にマイノリティに属する俳優の出演機会の問題を考えても、とりわけシリアスだからこそNetflix(US)における数々の作品はアメリカ社会に対するカウンターカルチャーとしてすごい力を見せているということになる。

一方、「NetflixオリジナルのUSがシリアスに人種や性の問題を扱っているのに、日本ではどうして『全裸監督』みたいに前時代的な価値でAV監督をヒーローとして描くんだろう?」と昨年言われていましたが、結局は日本におけるカウンターカルチャーにあたる対象がAVだった、ということなのだと思います。

つまりNetflix的であることとは、いろんな人種や性のことを描くことではなく、各国の社会においていま、なにが反体制的で、革命的な対象であるか、そしてそれを商業的なエンターテインメントにしているかという構図が真相ではないでしょうか。

『BNA』はNetflix(US)を見て作っているのだと思いますが、むしろこの抜けの悪い出来のなかに、日米でのカウンターカルチャーとしている対象の違いがあります。

あと去年まったく書きそびれてましたけど、アニメ版『BEASTARS』が『ズートピア』に対する日本側の完璧な解答だった、と思います。『刃牙』の作者でありマチズモ的な父親・板垣恵介さんの娘である作者、板垣巴留さんという構図で肉食獣、草食獣間の学園物語をやること、スタジオオレンジが3ⅮCGアニメーションにすることすべてに意味があった、ということでまとめておきます。

 

 

UHFアニメ

TVアニメ『彼女、お借りします』公式サイト

『彼女、お借りします』 視聴15分

一方でこちらは本当に嫌な意味で身近なテーマです。女の子の時間をレンタルして彼女になってもらうサービスを元にしたラブコメディを、柔らかなカラーパレットと背景美術で描いているわけです。

国内のUHFアニメが広義の性産業をテーマにした作品を平然と放映しており、屈辱にまみれた主人公が「どうせサービスで自分に優しくしているんだろう」という。こちらは男性の屈辱を周到にきれいな画風で描いており、危なっかしいことをポップにやっていて前回の『宇崎ちゃん』と真逆でした。

終わりに

ちなみに今回のエントリは意図的にポリティカル・コレクトネスという言葉を避けながら書いています。

日本語においてポリティカル・コレクトネスという言葉は、とりわけ非政治的にならざるを得ない環境ゆえに、もともとの意味を(とても理解のある人でも)解釈できる状況でないため、極めて抑圧的な意味で捉えてしまいがちだからです。読み手それぞれが混線する可能性が高い言葉ほど、まずは意味を開いて書いたほうがいいかな、と考えています。

こんなとほほ書き散らしのブログですが、いちライティング業者としてひとこと書きますと、ポリティカル・コレクトネスを4文字言葉に省略したテキストにはお気を付けください。それはスラングだから。

ただでさえ解釈しきれていない重要なイシューをスラングにしてしまうことが、どれだけ現実を矮小にする行為であるか。どれだけ細やかに状況を記述したり、この言葉に理解があっても、スラングにした瞬間から現実を浅はかな視点から見つめることへ変わります。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。