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葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

「父を探して」レビュー 無垢な時はいずれ無くなり、それから思い出す

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 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎…といいたいとこですが、あまりにも根源的なところにアプローチしており、しばし忘れられない作品になりそうです。

 

 というわけで「父を探して」観てきました。東京アニメアワードフェスティバルでやってたのを行きましたよ。

 

 冒頭から凄まじいです…過去の抽象アニメの巨匠・オスカー・フィッシンガーやノーマン・マクラレンを思い起こす、素晴らしい劇伴と共に躍動する幾何学的で抽象的なアニメートから映画は始まります。

 いきなり音楽と抽象アニメートを結びつけるアプローチから幕を開け、主人公の少年が現れます。この抽象アニメと音楽がどこから来ているのというと、それは少年が地面の下に埋めた、あるものから聴こえていた音楽でした。

 

 それは父親が奏でる笛の音が閉じ込められた筒でした。このアニメでは楽器で演奏をした音が色つきの球体になって浮かび上がるという演出が取られています。

 

 未だに世界がどうなっているのかも知らない少年から見える物は、具体的な描写も抽象的な描写もばらばらに行ったり来たりする自由なものでした。タイトルバックが流れるまではいきなりクレヨンや水彩などで手描きで描かれたスケッチの中を、少年が走り回ったりするアニメートが見ものです。

 

 しかしある時を境に父親は遠くに行ってしまい、少年はたったひとりで探しに出かけていきます。父を追ったその先には農園で生活する人たちや、工場で働く人たち、そして大きな街が待ち受けています。

 

  やがて農園や工場、そして街には不気味な飛行機が覆い、この作品はブラジルの軍事政権など、近代史の要素が含まれているという背景も語りどころ(なんだそれ)になると思うんですけど、ぼくはここでベルギーの巨匠・ラウル・セルヴェのアニメーションの記憶が掘り起こされました。ヨーロッパで全体主義や独裁政権が覆った時期の感覚が反映されたアニメの感覚もおそらく入っているのではないでしょうか。

 

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 ここまでのあらすじを見ると、どう考えても少年が父親を探す冒険の中で世界を知っていき、成長していくと言う王道のストーリーばかりを期待してしまいます。ですが、結末に至るにつれ、実はまったく違う方向だった、ということがわかります。内容に触れるギリギリのところで抑えておきますと、少年の無垢な感性で飛び出していく物語だったかに思われた。でも実際には、少年の無垢な感性が時代の変化や時間のなかで失われていく物語だったと思うのです。

 

 ではシニカルな結論か、急転直下のバッドエンドなのかというとそうではありません。もうひとひねりあるのです。物語の終わりに、最初に父親から受け取った笛の音楽を埋めた場所に戻っていきます。そこであの音楽とアニメートが画面いっぱいに広がるのです。そこで失っていたはずの無垢なその感覚を思い出すのです。

 

 2時間の中に過去70年分のアニメーションの記憶が、多彩な音楽と映像が絡みあう中で展開されていきます。初期の抽象アニメーションの記憶、(アニメーション巨大産業のトップから例を挙げて恐縮ですが)ディズニーの「ファンタジア」の記憶も見えますし、ヨーロッパの全体主義や独裁政権による恐怖を反映したアニメーションの記憶もあります。そして手描きの質感を残したスタイルからは、日本の「かぐや姫の物語」の記憶まで引き出されます。

 

 いや、こういうアニメーション史であるとか、ブラジルの政治的な文脈でまとめるのはよくないかもしれません。ほんとうのところは、とても普遍的なものです。少年がとても苦い形ながらも世界を知っていき、成長していくアニメーションですし、年老いた大人が無垢なその時を思い出すアニメーションでもあるのですから。

 

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