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葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

『デカダンス』と『GREAT PRETENDER』テレビとNetflix、ふたつの領域で展開される「オリジナルの作画アニメ」とは

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TVアニメ「デカダンス」ティザーPV - YouTube

UHFアニメ デカダンス 視聴フル

UHFアニメにおけるオリジナルアニメとは、いまどのような意味があるのでしょうか? 作画? 世界観? キャラクター展開? 監督の作家性?

いずれにせよ、ブシロードが絡むアニメーションみたいなビジネス上の戦略とは別の、商業アニメーションが持つ美的な価値を追いたいのだと思います。『幼女戦記』など高い品質のアニメーションを制作したNUTのオリジナル作品『デカダンス』は、まさしく作画と世界観を見せたいアニメなのでしょう。

 今の時代で作画を魅力とすることとは?

キャラクターデザインには作画させたい思いがかなりあるのではないでしょうか。アニメートさせやすくするために、極端に線を増やしたデザインにしていません(イラストレーションベースの情報量の多いデザインだと、作画が大変なのもありますし、作画それ自体の快感が削がれるのもあります)。3次元的に把握したとき、どの角度でもデッサンが崩れにくいデザインをしている。

世界観を見せたい思いも、移動要塞にある社会で暮らす人々に現れているでしょう。『ハウルの動く城』から古いSFの『逆転世界』など数多くの移動都市を描いた作品を踏襲しており、アクションシーンでは『マッドマックス・怒りのデスロード』を思い出させます。とはいえ統一感はあまりなく、これも作画そのものへの魅力を押したいのもあるでしょう。

一方、いまオリジナルタイトルが作画に特化することにどんな意味があるんでしょうか? ここ10年の成功作ではトリガーの『キルラキル』が思い浮かびます。『デカダンス』でも独自のフォントで登場人物の名前を表示するなど、『キルラキル』以降の影響がみられるでしょう。

オリジナルで作画アニメを追う意味の大きいデザインとは

しかしトリガーとNUTを比較しますと、作画に使っている意識がまったく違っているのがわかります。

 というのも、『デカダンス』ではリアリスティックな印象を与えるという、とても作画アニメらしい醍醐味を出しています。手描きならではの嘘と、アクションや演技といった作画の手触りを本物らしく感じる中間の快感。

これは今のクオリティが高いスタジオならどこでもやっていることで、『デカダンス』ではとくに世界観やキャラクターデザインを作りこみすぎないことで、作画の良さに注力されるようになっていると思います。

対してトリガー(≒今石監督作)は3コマ打ちはまったく違います。日本の商業アニメならではの省力させる方向を、再検証してカッコよくリズミカルに見せる方法へ発展させています。

かつてガイナックス時代の『グレンラガン』では、まだリアルさへの方向はあったと思いますが、ある時期から日本アニメが産業のなかで発展させた省力アニメの技法をブラッシュアップさせる方向へ特化しています。「省力アニメ」の興味は『ニンジャスレイヤー』に見られたFlashみたいなことまで進んでいますから。

いま作画アニメのオリジナルをやる意味に戻りましょう。セルルック3DCGを含め、平均的に「基本は日本アニメならではの嘘だけど、リアルに感じさせる方向」でアニメを作ることは加速しています。そこでトリガーがひとつ抜けているのは、早い段階で日本アニメならではの「3コマ打ち基調の、省力のためデフォルメされた作画を再検証する」ことを追求していることで、いまでは追随するものがいない状況となっています。つまり作画アニメがやりがちな「リアルさを感じる表現」をやめ、むしろ日本アニメならではの破綻の部分に目を向けることでもっとも作画アニメに意味を与えているスタジオでしょう。

デカダンス』はとりわけ新しくなく、オーソドックスすぎる作画の価値で出来ており、これをオリジナルとして、なんらかの監督やアニメーターの作家性の発露としているということに思うところがあるのでした。

逆転世界 (創元SF文庫)

逆転世界 (創元SF文庫)

 

 

GREAT PRETENDER」公式サイト

Netflixオリジナル(テレビ放送もあり) GREAT PRETENDER 視聴フル

WIT STUDIONetflixオリジナルで展開するタイトルです。脚本には『リーガルハイ』や『コンフィデンスマン』の古沢良太さんを迎え、地上波放映との同時展開も行うというフジテレビの企画力が見える一作です。

もっとも作り手側のコンセプトや方法論が見えた『ローリングガールズ』以来、WITの絵作りに感銘を受けるものになってますね。

貞本義行キャラデザインは、まさしくアニメ絵ならではの嘘に振った作画でもいいし、リアルさを感じる作画のどっちに振ってもうまくいくものであり、今回は異様な背景美術と相まって独自の魅力ある絵作りになってます。

というのも、背景美術すべてに鋭角的な これが本作のきびきびしたキャラクター描線とマッチしており、ポップさとスタイリッシュさのある作画を実現してるんですね。これは「非リアルな方向を追い、2Ⅾ手描きアニメならではの抽象的な表現を追う」ひとつの解答でしょう。

脚本を中核に持つということはアニメートの飛躍を抑えることである

ここまではとても褒めているように読めるでしょうが、では面白いか、馴染めるかと言うとそうでもないんですね。たぶんぼくが本作における古沢さんのテンションが苦手なのがあるのかもしれません(サブカルチャーの中でだけ知っているクライムサスペンスという感じがするんですね)。もしくは、古沢さんがドラマで大きく振り回せるコメディの性質が、このチームではあまり生かされないというのもあるのか。

ここで貞本義行氏キャラデザで、コメディ的な切り口と言えばやっぱり名作『フリクリ』が思い当たります。あれは脚本も世界観も、可能な限り作画に集約される構成であったからよかったのです。

『GREAT PRETENDER』においては中心にあるのがやはり作画ではなく、古沢さんのツイストを利かせた脚本にあるのはあきらかなので、展開も作画に注力したものではない。このあたりは『デカダンス』とまた違うわけで、作画を見せたい場合はそれ相応の世界観づくりやキャラデザインがあるわけですね。

アニメーションならではの現象といいますか、優れた監督やアニメーターは映像やアニメートだけで完結させちゃうから、長編で観ると苦しくなることは多いんですが、かわりにアニメートでしかできないやり方ですごく魅力的にする。脚本はその魅力を最大限に伝える補助になるのが(すくなくともぼくは)理想ですが、脚本主体になると絶対にアニメートの飛躍はない。

『GREAT PRETENDER』は十分に作画だけですべてを見せることができるスタッフを持ちながら、古沢脚本が中核をなし、アニメートだからこそできる飛躍を抑え込んでしまうため、優れた作画の魅力があまり生かされず「意外にすごいスタッフだがあまりおもしろくない」という印象を残しています。今石洋之というアニメーターと脚本の中嶋かずきが出会うような、古沢良太さんと相互のセンスが生かしあう出会いがあればいいですよね。

 

ネコの手は借りません。

ネコの手は借りません。

 

 ↑古沢さんが描いた漫画。試し読みをするにかなり高い画力が伺える。

ちなみに古沢良太さんは、自身も驚異的な画力で漫画も描ける人物であり、『GREAT PRETENDER』は制作スタジオからキャラデザインどころか、脚本家まで驚異的な作画能力を持つクリエイターが揃った稀有なタイトルでもあるのです。あまりおもしろくないという欠点を除けば、興味深い一作でしょう。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。