今年もTOKYO ANIMA!を見に新国立美術館に行ってきました。整理券を貰って並んでいると、なんと水江未来氏が会場整理をされており、ちょっと緊張したのでした。
あらためてなんですけども、アート・インディペンデントアニメーションは可能な限り大きいスクリーンと音響設備が整ったところで観たほうがいいですね。今年はけっこう国内外の長編大作アニメを観てきたんですが、その体験と比べても映像と音楽、音響のシンクロから織りなされる体験の強さは飛びぬけています。抽象アニメーション系とエレクトロニカはなんであんないいんだろうか?とか思いながら見ておりました。
これピンチョンの小説をアニメ化したみたいだよ
ニヘイサリナの『Small People with Hats』の押井守の殺したさ具合ときたら…いやいやスモールピープルがそれっぽく見えただけなんですが、ミステリー・シュール・コメディのバランスが高次元で混ざり合った傑作です。
不気味に街を闊歩するスモールピープルと、彼らを監視するスーツの男たち。何人も殺されるスモールピープルは?そして事態を見つめる謎の母子たちは…このアニメーションのストーリー構成のうまいとこは、完全でたらめじゃなく観客に与えられる情報のバランスがよいのでギリギリこの事態を把握できるかできないかぐらいのところでムズムズする感じがあることですねえ…
さながら、トマス・ピンチョンの初期作品をアニメーションにしたらだいたいこんな感じじゃないでしょうか。なにより手描きのシンプルな描線という、普通温かみとか手作りとか形容できそうなところを一切体温を感じない手つきでデザインしているほか、意外なくらいタイミングや間の置き方に気を使っており、独特のテンポを構成している点もふくめ、謎解きや考察のためについつい何度も観てしまう出来になっています。
抽象アニメーションの織りなすアニメートと音響
AGE OF OBSCURE -trailer- from MIRAI_MIZUE on Vimeo.
特に「大画面と良質な音響で抽象アニメーションを観る」っていうのはこの企画の中でも飛びぬけてよい体験なんですよ。水江未来と小野ハナによる『AGE OF OBSCURE』はその意味でも最高。両者の得意技である細胞の曼陀羅と手描きの描線が音楽と共に絡み合います。
『水準原点』。アンビエントなサウンドに乗せ、波のクレイアニメーションが続く。
個人的に目当てにしていたのが、ザグレブ映画祭で準グランプリを獲得した折笠良の『水準原点』です。 クレイアニメーションで波打つシークエンスをアンビエントミュージックに乗せて延々と続ける構成か、と思いきや、途中にテクストが差し挟まれる。それがこのアニメのタイトルにもなっている、石原吉郎の詩なのでした。個人的に抽象アニメーション&テクスト表現というアプローチは琴線にかかるのでした。
折笠良は東京藝術大学映像研究科時代の作品はなんとホルヘ・ルイス・ボルヘスを題材にテクストとしての映像というのをすでにやっていたんですね。テクストそのものを映像として提示すると言ったらエヴァかゴダールかシルバー事件かって感じなんですけども、簡単に調べたところこのテクストそのものが躍動していくアニメートを突き詰めたものかなあ『水準原点』は。と考えました。なんにせよ、テキストと抽象アニメートを通して概念そのものを提示しているかのようだ。とか似非評論家風に言って逃げます。
ベクターグラフィックス・フラットデザイン時代のアートアニメーション
さてアート・インディペンデントアニメーションならではのアプローチとして、たとえば油彩画やラフな素描の書きつけ、もしくは木炭デッサンといった、静止画で成立しているテンションや、実写映像や写真表現のテンションをそのままアニメに起こすというのがありますね。たとえばTOKYO ANIMA!なら岡崎恵理『FEED』や岩崎宏俊『DARK MIXER』などが絵画やデッサンのテンションのままアニメにしたものと思われます。
ここでデジタル製作時代ならではのアプローチとして、たとえばデビット・オライリーなどが3DCGやグリッチ・ブロックノイズを意図的に多用したことなどが挙げられるでしょう。
もうひとつデジタル化によってアプローチが行われつつあるフィールドがあります。そう、『ガッチャマンクラウズ』のデザイン書き散らしのときに言及した、Win8&IOSによりスタンダードになったフラットデザインやベクターイラストレーションをいかにアニメートするか?ということです。
全てのシーンがまるでフラットデザイン・ベクターイラストのようなテンションの傑作
今回もうひとつ目当てにしていたのは大川原亮『ディス イズ マイ ハウス』です。日本のアートアニメーション専門サイトtanpen.comと協力し、2014年に行ったクラウドファウンディングを成功させた本作は全編にわたりフラットデザイン下のイラストレーションのままアニメにすることに成功しています。
不良少年の家庭と仲間の間で揺れる青春映画を、フラットデザインのようにそぎ落として10分弱に収めるにはどんな形にすればよいのか?という、デザインとはまったく真逆の位置にあるだろう品川ヒロシの小説や映画のような題材をまとめ上げる手腕はもちろんですし、また、どうしてもキャラクターの動きのアニメートというのも情報量が過密になってしまうのでフラットデザイン的なスタンスとも真逆。ところが、ここを不思議なブラー効果のようなアニメートを使うことでデザインの枠内に収めている点も素晴らしい。なにより、角砂糖と平原の向こうで燃える家(ワイエスの『クリスティーナの世界』の引用っぽい?)で韻をふむのがよいのです。
平岡政展『L’Oeil du Cyclone』。具象と抽象をメタモルフォーゼで行き来するのはアニメーションではよくあること(つまりド直球)だけど、フラットデザインと混ざることで先鋭的に。
さて、ここでフラットデザイン的なベースでありながら、商業アニメーションにも接続可能ではないか?と思わされる大傑作が平岡政展の『L’Oeil du Cyclone』です。フランスの音楽グループEZ3kielのMTVとして制作された作品ですが、全編にわたるアニメートとデザインのキレが凄まじいです。
『ディス イズ マイ ハウス』がもうすこし引き算の意識からデザインされているとしたら、こちらはド直球。アートアニメーションならではのド直球。「静止画で成立するまったく別分野のテンションをアニメにする」と「アニメートを抽象化する表現」という両者が一致するのって具象が別の具象に移行する時のメタモルフォーゼの動きを描くときです。本作では途中途中にグラフィックデザインらしい幾何学のコンポジションを挟むことも素晴らしい。
ある意味、商業アニメーションのテリトリーで言えば『僕だけがいない街』EDアニメーションなどを担当した石浜真史のデザインをより先鋭化させたアニメートを、アートアニメーションのテリトリーで平岡政展は実現しているのだと思います。ということで、今年のTOKYO ANIMA!のベストは『L’Oeil du Cyclone』で!発表されたの去年ですけど。