17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

おっさんと女性作家が高校生の性欲を描く差 『クズの本懐』&『セイレン』

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クズの本懐 視聴15分

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セイレン  視聴15分

 

 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 このブログタイトルがどっかのエロ漫画雑誌だったかの広告にあった「女子校生はセックスを知った子供です」という、狩野英孝がもめてる今まったく笑えないとんでもないコピーからスタートしたことを今回の2本で痛感しましたよ。

 

 この二つに共通しているのは突飛なキャラデザインを取らず、大人しく抑えたデザインを取っています。登場人物も女の子だけしか登場しないいわゆる萌えではなく、ちゃんと男女がおおよそ50:50ぐらいに配置もされている。しかしそれはドラマを見せることを主にしたためではなく、根底にある性欲の飛距離を遠くまで飛ばすために、蛇口をすぼめたものだと言えます。『クズの本懐』はいきなりキスで唾液が糸を引きます。『セイレン』は主人公の座席にヒロインがスカートの中身のほうで座っている姿が描写されます。これらを性欲をばらまくものといわずしてなんでしょうか。

 

 しかし、その性欲のありかたが作者の年齢や立場で完全に分かれています。はっきり言って、原作が女性作家と、おっさんとの差なんですよ。

 

 『セイレン』はビデオゲームキミキス』『アマガミ』のキャラクターデザイナーが中心になっているとのことで、デザイナーによるイメージイラストは前2作のような淡麗でありながら、欲情させようとする手腕を発揮しています。ところがアニメ本編になると性欲が暴走。おっさんの情欲がコケる感じが、OPがどうにもダサい感じに現れるのでした。主要ヒロインが全裸で花をくわえ、次のカットで全員が並んで裸足で横になっているシークエンス、2017年のセンスではないのではないでしょうか。

 そう、本編の演出になると、キャラデザインのイメージイラストでは保っていた情欲を抑えることができなくなってるんですよ。冒頭で書いたような座席に座る描写、ヒロインにどこか傍若なふるまいをされるとか…おしゃれっぽく抑えているかのようなデザインを取りながら、女子を見る目線の性欲がだらだらと零れ落ちているんですよ。セックス描写だけがないAVみたいな感じなんです。

 

 

 一方『クズの本懐』は、『セイレン』ではおそらく1クールずっと描かれないだろうセックス描写がいきなり出てきます。ところがこっちから飛ばされる性欲の方向性と飛距離は、じっとりと情欲を貯めてからのそれじゃない。承認欲求であるとか憤りであるとか、感情の誤魔化しなんかが混ざり合った側面が特に出てる。こちらは黒白を中心に鮮やかな色が挿入されるような色彩のバランスや、複数の縦画面に分割する演出などなど、『サイレン』のダダ流しと比べるとデザインをまとめ上げています。しかしそこで抑え込まれ、放たれる性欲とはさっき挙げた感情やらがまざりあってのものです。

 

 EDアニメーションなんかヤバいですもんね。主要キャラが顔にバッテンつく演出しつつ、万華鏡やシンメトリーみたいにするビジュアルは、絶対に膣みたいに見えたり絡みあってる姿に見えたりするみたいに演出してます。この抑えた露骨さも、まさにという感じ。ある意味作品のテーマを一目でわからせるいいEDだともいえますよ。

 

 

 両作を見比べるとほんとうにおっさんと20代女性作家のセクシャルな取り扱いが露骨なぐらいわかりやすく表れております。このワンクールを見比べてみればほんとどんどんはっきりすると思いますよ。『セイレン』のおっさんの性欲に関してはもう馴染みがありすぎてかえって泣けてくるぐらいですし、『クズの~』の性欲に関してはロジカルに理解できるので哀しくなるのです。この二作が表面上抑えたデザインであるゆえにつきつけることはもうひとつ、性欲情欲が放たれた後というのはただ哀しいということです。観たアニメは忘れましょう。でも培った情欲と虚しさはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

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