つらい気持ちになってきました。萌えとかエロって「おっちゃんが作っているものをおっちゃんが楽しんでいる」ってスラングがあるじゃないですか。ところがそうでもなくて、思っているよりも女性が作っていることが多いですよね。
統計を調べたわけでもなく、印象ですけど商業アニメ全体はなんといいますか、萌えでもエロでも女性的な、抑えられたデザインになっていると思います。しかし、当のエロから、もうもうとあふれ出てくることがあるのです。忘れていたはずの、おっちゃん臭さが……
とほほ隠し処理、とほほ直喩
思いましたよ、『なんでここに先生が!?』でなんでこんなにおっちゃん臭を感じるんだろうと。原作は比較的ライトなエロなのに、どうしてアニメ版ではそう感じるのか?
ひとつは局部隠しのトホホ加減かもしれません。「こら」って……これを言葉にするのは難しく、ニュアンスをわかってくれればありがたいのですが……妙に演出を汚く感じたうえ、(おそらく)ソフト版では解禁されますよって仕掛けも込みで、脳裏をよぎったのは「DVD鑑賞 サラリーマンの味方 金太郎」でした。
漫画原作ではとくになにも思わなかったホースの水まきの直喩も、アニメ版ではとてもひどく感じたのもなぜなのか?二又にわかれた水を、駅前のトイレに生えた黴のように感じさせたことは、逆説的に映像の力を感じさせます。
エロという境界からおっちゃんの世界観があふれ出す
『なんでここに先生が!?』はエロという境界から、ソフィスティケートされていると思い込んでいた商業アニメがおっちゃんの世界であるということをありありと思いださせます。そう、エロは稚拙で、おっちゃんの一方通行なところがありさえすればいいのです。
エロといったらAVですけども、あのパッケージのデザインのうわって来る感じ、基本的におっちゃんの世界観だからですよね。いまAV女優さんもSNSを複数やっているわけで、ちらっと見るとすごくおしゃれだったりする人が多いんですよ。それがあの手のパッケージとあまりにも世界観が遠すぎるなとしばしば思うのです。
『なんでここに先生が!?』はしばらく女性作家さんが活躍し、おしゃれな方向性でもあった商業アニメで、まだまだおっちゃんの世界観が健在であることを思い知らされるのです。アニメフェスタでもそんな世界観を発揮していましたよね。
平成も終わろうというのに
萌えまでは許容量で、いまではアートやデザインのレベルでも若手が消化しております。なのでアニメ全体はデザインのネタとしてもライフスタイルとしてもなじみ深いものになって、おっちゃんの世界観というのはなくなっていたように思いこんでいました。
しかし『なんでここに先生が!?』の演出には、見えていなかったはずのおっちゃんの世界観が詰め込まれています。平成も終わろうというのに、今期エロ系が溢れかえっているのはまだまだおっちゃんの世界観が有効だからということなのかもしれません。エロまできっちりアートやデザインのレベルで(露悪的でなく)まとめられる未来は来るんでしょうか?
余談ですが、インターネット上で「おっさん」といういい方は溢れすぎ、しかも軽蔑や切り捨ての気分があって非常に嫌なものがあるなあ、ということで、今回は関西方面でなじみ深い。おっちゃんという言い方で書いております。
どうしょうもないけど、時代は変わるんだし話は聞いてくれよなって距離感で使えるマイルドな言葉なんですね。観たアニメは忘れましょう。でも培ったエロは本当に難しいと振り返りつつ、次回にお会いしましょう。