17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

背景美術で描かれる”街”のリアリティライン 『Akiba's Trip』

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Akiba's Trip 1話 視聴総計9分くらい

 

またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。今回は背景美術に特化した書き散らしです。

 

背景美術の描写ってのは、キャラクターデザインの幅がある程度決まってる商業アニメーションでは作品のリアリティラインを一目で設定してくれる役割があると思います。例えばジブリ男鹿和雄から、今なら新海誠などは一目でわからせてくれますよね。かなり緻密にパースやレイアウトを計算して描写したなかに、デフォルメされたアニメキャラが生きている点を今の良質めなアニメのリアリティラインに定めてるひとはすくなくないんじゃないでしょうか。

 

これはまあアニメに限らないんですけども、舞台美術からビデオゲームの「GTA」シリーズみたいなオープンワールドでの街の風景の構築がリアリティラインを決定付けるとも思います。ではもともとがビデオゲーム秋葉原を描いた原作をアニメにした本作が描く、秋葉原の街のリアリティラインはというと…

 

 これは原作ゲームからしてそうなんですけど、一見してあの秋葉原の雑多でコアな感じってのがなぜかそこまで描写されません。それどころかけっこうパースなどが雑なカットが多かったりするくらい。メインは作画だからなのか、(序盤の戦闘シーンなんかはすごい気持ちよく描けてるんですよ。)それを生かすために背景とキャラデザの情報量もほぼ単色塗りくらいにしてるくらい、抑えめです。

 

 一方、やっぱタイトルに入ってるくらいなんだから秋葉原の雑多さ・カオスさというのをちゃんとデザインしてるとこ観たいじゃないですか。ところがそのリアリティラインはあんまり求められてないのか、路地裏のパーツショップだとかのああいう小汚いけれども魅力的な空気のあるような場所を描くことはあんまりやってないんです。

 

 路地裏や街の電光掲示板などに鈍い感じといった、街の空気感を描くことをやらない代わりに、描かれているのは「秋葉原は情報が雑多にある」ということだと思います。例えば飲食店のチラシのテクスチャーやアニメキャラクターのポスターというのが貼られている。これは街の生々しさには目をそらしつつ、なおこの街ならではの部分を描くとしたら、街そのものではなく情報だからかなーとか思いましたよ。

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 このあたりの比較はビデオゲームになりますけども、この前「龍が如く6」をやったんですけど、街の殺伐とした、薄汚れた空気感が凄いんです。新作では主観視点のまま動けるのもあり、路地裏や風俗の無料案内所、それから夜に膨大なネオンが明滅してるあの空気を再現しようとしてるんです。

 

 一方「Akiba's Trip」は現実の街そのものが放つカオスでコアな空気はあまり描かずに、情報そのものが雑多にある状態ということのほうにアプローチしています。それがあの街を行き来し、過ごしているひとたちにとってのリアリティなのかもしれません…なんてこともないか。資金力人員がセガとは違うんだよ!と言われればもう特に反論もないままに観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

 

龍が如く6 命の詩。 - PS4

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AKIBA'S BEAT - PS4

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