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葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

庵野秀明はなぜ作家性の夢を捨てリアリストになったのか

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庵野秀明さんが『宇宙戦艦ヤマト』の新作劇場版アニメの制作を発表しました。「ヤマト」は彼が子供のころから親しんだ作品ということで、「ナディア」や「エヴァ」でも引用が見られたりしますよね。

しかし最近の人気シリーズの新作ばかり手掛ける手付きには、「子供のころから見てきた作品を自分の手で作れる」喜びというよりも「それが興行として負けないから」という苦さを感じます。

いつのころからでしょうか? エヴァンゲリオンのリメイクあたりからでしょうか? 庵野さんはある時点で、作家性という夢を追わない作家性というべき奇妙な方向へ進んでしまったように思います。

いま、山田尚子さんや湯浅政明さんなど数多くのアニメ作家は常に新作の長編を制作し、その作家性を評されています。ところが彼らと比較すると、2000年を過ぎてからの庵野さんは「強い作家性を表現するために、オリジナル作品にこだわる」ことを潔いまでに捨てているように見えます。

押井守さんのようなヌーヴェル・ヴァーグの実写映画を前提とした、アニメの構造を再解釈するアニメ制作を「あの人は映画は人の金で作るものと思っている」と語り、「新世紀エヴァンゲリオン」を終えたあと、いくつかの実写映画をはさみながら、新作の企画を練るも「結局エヴァを想起させるようなものなら、エヴァを作り直した方がいい」と思い切った発言を残していました。

でも作家性のために作品作りをすることは、言いようによっては人の金で自分の作品を達成し、商業的な都合よりも常にオリジナルの作品をやっていくみたいなエゴがあって当たり前ともいえるじゃないですか。(もちろん、商業的な都合込みでオリジナルを手掛けるのは当たり前というのもわかって書いてます)

庵野さんの代表作を観ると、誰よりも作品に自らを投影するような作り方や、商業アニメの中で出来る実験的なアプローチも多いだけに、特に作家性にこだわるアニメ作家の印象はいまも強いです。

ところがエヴァでいつまでも大人になったとか子供になったとか薄い批評がSNSやらなにやらでばらまかれるイメージに反して、実際の庵野さんの活動や発言は週刊ダイアモンドのインタビューなどでわかるように、アニメ産業に対して相当なリアリストでもある。

何が彼をリアリストにしたのでしょうか。冷静に考えるとアニメ制作会社でCEO兼クリエイターを行っているケースはほとんど知らず、その立場が彼を現実的にしたのか。古くは批評同人誌「逆襲のシャア 友の会」の活動など、ライターや批評家を差し置いて、作家側が自らのジャンルを包括的に批評している時点から冷徹だったのでしょうか。そして、旧ガイナックスとの諍いも大きかったのでしょうか。

ともあれ、今回「ヤマト」を選んだのも、「結局エヴァを想起させるようなものなら、エヴァを作り直した方がいい」という判断とあまり変わらないように思えます。しかもそこでヤマトを再解釈させるような試みをする可能性も、「シン・ウルトラマン」や「シン仮面ライダー」を見る限りはあまりなさそうです。

エヴァ最終章に対しても、長いシリーズを終える情緒的な振り返りやインタビューを返すわけでもなく、アニメ制作をドラスティックなプロジェクト報告にした「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」を昨年出版したほどです。

彼の作品外の発言や活動は、もはや好きなコンテンツを弄りつづけて嬉しいおたくの喜びはあまりなく、リアリストとしての意見が目立つ。それは作家性を表現しつづけるという、数多くのアニメ作家が普遍的に行っているだろうスタンスさえも上回っています。

 

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80代を越えた宮崎駿さんが、自らの生理を包み隠さずに追求した長編を作っているのはわかりやすく作家性の晩年を追いかけているものと見えるでしょう。対照的に、庵野さんは現実的なビジネスとして、そしてアニメ産業に対して批判的にも見えるかたちで、今日の活動を続けている。

作家性の逆とはビジネスとしてのエンターテインメントということになるのでしょう。実際に庵野さんの「シン」シリーズはすでに作家的な批評がほとんど効果を為さず、むしろ作品以上にビジネス展開のほうが気になるものになりました。

おそらく本人も意識的にビジネスとしてのエンターテインメントを志向しつつ、ありがちな映像作品の作り方から逸した作り方をするということが、現状のアニメ産業(もしかしたら特撮映画産業)に対する批評性を持つ、みたいなところがあるんだろうな、とは推察されます。

しかし作家性の夢を追わないリアリストであることが、なによりアニメ産業に対する批判性を見せるというのはどこまで有効なのでしょうか。いま、リメイクやリブートはあきれるほど当たり前の手法です。結局のところ、庵野リブートはエヴァから仮面ライダーに至るまでどこまで “ビジネスとしてのエンタメでありながら同時に批評的”だったのだろうかと考えています。

多くのリアリストは現実にたいして甘い夢や明るい未来なんて展望を提示してはくれません。常に現状に対して冷徹で批判的でもある、というはそうなんですが、アニメ作家がそのビジョンであることは果たしてどれくらい意味があるのだろうかとも思います。

少なくとも僕にとってはすでに旧エヴァンゲリオンや「トップをねらえ」で見せたアニメートの感動は、ついに2000年代以降の「シン」シリーズで見られなかったと思います。「ヤマト」が急に劇的に感動的なアニメートばかりになるともあまり考えていません。ただ、リアリストがかつて幼いころに見た夢に触れる手付きが行く末だけを考えさせるのです。