17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

アニメーションは映画より先に生まれた!世界初のアニメを生んだエミール・レイノーの悲喜劇 

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  19世紀の終わりに初めて、映写機などで動画がスクリーンに投影される”映像”というあらたな発明が為される。生まれた当時のそれは今みたいにメディアだとかコンテンツだとかアートだとかいうそれじゃない。新しい発明品を使った新奇な見世物だ。

 

 映画の始祖・リュミエール兄弟はこうした映像の起源として取り上げられる。気の利いた映画ファンならだれでも名前は知っているだろうし、そうしたファンの代表格たる蓮實重彦は自前の映画雑誌の名前に創始者である彼ら兄弟の名前を使いもした。

 ところが、どうやらリュミエール兄弟よりも先に映像のひとつを発明し、興行として展開して見せた人間がいる。それが、世界初のアニメーションを生み出したというエミール・レイノーだ。ところがレイノーに関しては、映画ファンやアニメファンのみならず、ちょっとした映像史の起源を語るときでさえその名を聞くことは少ない。

 同じフランスにて、ほぼ同じ時期に発明された、映像を投射するアニメーションと映画という2極。新発明を興行にした二つの流れは、新奇な喜劇を与える中でやがて一方は興行として勝ちえていき今日にまで繋がる新メディアとして飛躍し、一方は客を取れなくなることで悲劇へと転落していく。そう、歴史的に振り返ったときに最も早くに映像を生みながらも、レイノーは歴史の影に消える形となったのだ。

 

 ということで今回は新カテゴリー・クラシックアニメ一発目はこの世界最初のアニメーションを生んだ人間の悦楽と悲喜劇の書き散らし…

技術者であり、芸術の能力を併せ持ったレイノー

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  エミール・レイノーは1844年に生まれる。父親は時計修理やメダル彫刻を行う仕事を行い、母親は水彩画家だった。こうした両親のもとに生まれたことで、幼い頃より神秘的で興味深いガジェットに囲まれて成長していったという。

  レイノーはこうして文学や科学の知識を蓄えたのちに、精密機械工場で働き、それから写真家に師事するようになっていく。こうした経験を経て、レイノーは子供向けのおもちゃとしてアニメーションの機械を作っていくことにようになる。

 レイノーのバイオグラフィを簡単に眺めるとアーティストというよりかは、技術屋としてのそれだ。しかし19世紀当時では決して珍しくはなかった。アニメーション発明の前史はまず、人間の視覚研究という分野が大きく関係しているからだ。

 当初は学者や医者が人間の視覚研究からアニメの玩具を生み出していた

 

 19世紀には光学や物理学の一環として、人間の網膜に映る残像の研究が為されたという。まだ映像としてスクリーンに投射する以前のアニメーションは、まだ芸術家はたまた山師興行師気質の人間たちでなく学者や医師たちが主にこうした残像による錯覚を利用した”絵が動いているように見える”様々な発明をしてきたのだ。以下がそうした当初の発明品だ。

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 1825年・表と裏に別々の絵を描き回転させることで一枚の絵に見える錯覚を利用したトーマトロープ

 

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1831年・動画が描かれた円盤を鏡に映し回転させ
スリットを通して観ることでアニメーションするフェナキスティスコープ

 

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1834年・スリットの入った円筒を回転させ、内部の絵の連続が動画となるゾートロープ*1

 

 レイノーはこうしたアニメーション発明の先達を追う形で、ゾートロープのメカニクスを発展させたプラクシノスコープを1877年に開発する。レイノーの発明したそれはゾートロープの真ん中に多面鏡を設置し、回転させることで鏡の中でアニメーションさせる構造となっている。

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 レイノーのプラクシノスコープは特許を申請した後、翌1878年にパリ万博博覧会に出品され、選外優良賞を得る。それからヨーロッパに広く販売を始める。

 しかしレイノーは特許料を得て、一時のおもちゃで終わらせることをしなかった。プラクシノスコープの原理をさらに発展させ、一人から数人で楽しめるだけでなくより多くの人間を集め、アニメーションを観ることが出来るように機器へと改良を加えていった。進化したプラクシノスコープ、「テアトル・オプティーク」の誕生である。その進歩は同じフランスにて同時多発的に起きた世界最初の劇場で放映される映画というところにまで関わっていくのだ。

19世紀末のフランスで起きる映像誕生のシンクロニシティ・新発明による劇場映画興行とアニメーション興行の登場

 

 人間の視覚研究から発想されたアニメーションする玩具たちは、基本的には殆ど一人だけで楽しむものだったし、内容も一つの動画の錯覚を楽しむだけだった。実写映画に関してもリュミエール兄弟以前からもすでにトーマスエジソンがキネトスコープを発明していたが、これも一人で覗き見るだけだった。そう、まだこの時点では基礎技術の発明は出来上がっていても、映像の観賞そのものはおよそ一人で完結してしまうものだったのである。

 

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トーマス・エジソンのキネトスコープ 内部でフィルムが周り、それを一人で覗き見る形で完結する

 映像というものが大衆的な娯楽、およびメディアになるには劇場などで多くの人を集めてみんなで体験を共有して見せるような発明が待たれた。リュミエール兄弟、そしてエミール・レイノーの革新的な点はそこだった。

 

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キネトスコープの発展、スクリーンに写し大勢で観賞するリュミエール兄弟「シネマトグラフ」

 簡単な映画史では、リュミエール兄弟エジソンのキネトスコープから案を得て、その改良という形で生まれた「シネマトグラフ」を発明。一人で覗き見るものだったキネトスコープから、”フィルムをスクリーンに映す”というデザインにすることで大衆を劇場で集めて一緒に観賞することを可能にし、見世物の興行にすることができたのだ。1895年12月28日に有料で公開された「工場の出口」が世界最初の劇場映画とされている。

 

 だがしかしアニメーションはリュミエール兄弟よりも早かった。なんと3年前の1892年10月28日に、レイノーはプラクシノスコープを改良した「テアトル・オプティーク」を使い、様々な興行を上演していたロウ人形館・クレヴァンにて、世界初の劇場アニメーション上映していたのだ。

 レイノーの発明「テアトル・オプティーク」の革新的な点とは?

 テアトル・オプティークの構造は1888年には出来上がっており、この年にレイノーは仲間や知人を集めて試写会を行っていた。翌年には特許を獲得し、のちに1892年の世界初の劇場公開の興行に至る。

 

テアトル・オプティークの解説と上映方法の動画

 

 テアトル・オプティークの原理はこうだ。プラクノシスコープの多面鏡に黒いテープの上に描かれた動画を写し、それをさらにライトと鏡で反射させることでスクリーンに映す。こうすることで劇場にて多数の観客が集まってアニメーションを鑑賞することを可能なデザインにしたのだ。

 

 しかしそれだけではなく、より内容を豊かにするために動画と別に背景美術を別のプロジェクターに写し、登場人物の動画と別々にしたのである。現在までのアニメに連なるセルの動画と背景美術を分け、組み合わせて映像にするという構造はこの時点ですでに出来上がっていると言えるだろう。

 テアトル・オプティークはおおよそレイノー本人が手動でリールを回すことで上演された。それはさながら舞台劇や人形劇の上演にも近く、劇場に集まった観客の反応を見ながらリールの操作を行っていったという。

 

レイノーの作り上げたアニメーション

 

  革新的なのはそれだけではなかった。これまでのアニメ器械ではワンシーンのアニメーションを繰り返し続けるだけだったのに対し、レイノーがテアトル・オプティークで作り上げたアニメは、いくつもの登場人物が現れ、ひとつの物語を上演して見せるということをしたのだ。

 上の動画はレイノーの代表作の一つである「哀しきピエロ」だ。音声はないものの、衛兵と逢引をする女性と、それを知らずに彼女の気を引こうとするピエロの三角関係が描かれている。ここで初めて登場人物たちの性格を表すしぐさや演技、また3人の登場人物が織りなす人間関係の綾やドラマが発生している。そのことが革新的だった。

 

 ここにはレイノーの技術屋としての側面と、アーティストとしての側面の全てが刻印されている。精密機器の仕事につき、写真家に師事し、そして水彩画家でもある母親などから繋がったという絵の技術などなど…

 しかし、膨大に作られたという作品も、現在動画サイトにまで上がるまでに残っているレイノーの作品は「哀しきピエロ」はじめわずかしかない。なぜレイノーの作品は失われてしまったのか?それは、リュミエール兄弟のシネマトグラフの登場、そしてそもそものテアトル・オプティークに興行としての展開を阻む問題が関係してくる。ここからは現在でも変わらないいくつものエンターテイメントの機器や衰退の逸話に容易く繋がる厳しく悲劇的な話だ。

興行の栄光と衰退・なぜテアトルオプティークは普及しなかったのか

 

 

 レイノーはこのテアトル・オプティークを興行師や手品師などに普及させようとした。しかし、根本的ないくつもの問題がそれを阻んでしまった。

 その問題とは、先述したようにテアトル・オプティークはいくつものガジェットが組み合わされた複雑な構造を持っており、おまけに機器は脆く、操作には熟練が必要だった。そのうえに値段が高価だったのだ。レイノーはこうした問題を解決するための改良を行うことは出来なかったために、テアトル・オプティークの普及は進まなかった。それは次第にレイノーの立場を追いやってしまう要因となってしまう。

 

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 やがてクラヴァン館で行われ続けたレイノーのアニメーション興行も影を差していく。そう、ここで世界初の映画興行・1895年のリュミエール兄弟のシネマトグラフの登場が関係してくる。興行を競い合う中観客は次第に途絶えていったという。

 シネマトグラフと比較するなら、当時の発明の新奇性を考えても現実に観た風景や人間が動き出すというずっとリアルな新奇性・現実の時間を記録するという特性などを持っているし、またシネマトグラフ自体の機器の取り扱いやすさや興行にしやすさが揃うことによる、普及しやすさというのも大きいだろう。

 レイノーはこうしたシネマトグラフの興行の流れに対抗するために、写真の複製技術を利用し制作時間を短縮しながら、作品の量産を行うようにした。だがしかし大きな流れに勝つことはできなかった。やがて興行の契約をしていたクラヴァン館もテアトル・オプティークの看板を取り下げ、人形芝居やジプシーのオーケストラへと差し替えられたのだ。レイノーは窮地に立たされる。

 

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レイノー不屈の発明・プラクシノスコープの更なる変貌「ステレオシネマ」構想

 レイノーは追い詰められながらもまだ映像への発案は途絶えなかった。さらにアニメーションを進化させようとする試みを行ったという。それはプラクシノスコープを垂直に立て、二つの映像を並べ立体メガネを通して眺めることで動画が浮かび上がるという3D映像機器・ステレオシネマの発案があったというのだ。だがしかし、経済的な理由で実現はしなかった。

 

 興行界の一線から外され続けることでやがてレイノーは気難しくなり、憂鬱へと駆られるようになってしまったという。その憤りが限界まで達したのか、ある日に彼は残されたテアトル・オプティークを破壊してしまい、残されたいくつものアニメーションはセーヌ川へと投げ捨ててしまったのだ。こうしてレイノーの作品はわずかにしか残らなくなった。1914年にレイノーの生涯は閉じた。

 

 悲劇だ…革新的な見世物を作ったものが時代の中で追いつめられる。アニメーションはこの後もシネマトグラフによるフィルムのコマから再発明が行われていくのだが、レイノーの没後よりコマからコマのつなぎによって映像にイリュージョンをもたらした奇術師出身の映画監督・ジョルジュ・メリエスもまた、歴史に残る幻想的な映画を多数作りながら、時代のなかでほとんどを失い晩年には駅で売り子として生活していたという。しかしメリエスは生前より映画界にもたらした功績を評価されたし、このあたりは「ヒューゴの不思議な発明」あたりを見れば分かりやすい。

 レイノーはこのまま忘れ去られたのか?いや、そうではない。シネマトグラフ以降にもアニメーションの歴史は続いたし、アナログなフィルムからデジタルへ移行しても表現の歴史は続いている。そして歴史が編まれ再発見され、その名は強く刻まれる。

 

そして、アニメーションの歴史が編みなおされることで伝説へ…

 フランスのアヌシーを本部とする国際アニメーションフィルム協会は、レイノーが初めてテアトル・オプティークでアニメを上映した10月28日を国際アニメーションデーに制定した。

 アヌシー国際アニメーション映画祭ではアワードのひとつとして「エミール・レイノー賞」が制定されている。

 かつてアニメーションはフィルムと映写機のシネマのシステムとは別のメカニックの形で、最も早く映像を興行として提示して見せていたのだ。機器の普及ができなかったなどの理由で興行として長く続かなかったが、レイノーの技術者の面とアーティストとしての側面が合わさった一連の歴史は振り返るに意義深く感じさせる。

 

 

Watch Me Move: The Animation Show

Watch Me Move: The Animation Show

 

 

 

アーテック ゾートロープでアニメーション 000859

アーテック ゾートロープでアニメーション 000859

 

 

参考サイト

カートゥーンアニメーション100年史:アニメーションの起源

Who's who of victorian cinema

 

 

 

 

*1:中国の漢の時代より存在した「走馬燈」も同じメカニクスらしい。とりあえずヨーロッパのアニメ発明史をベースに話を進めている