17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

M3~ソノ黒キ鋼~ サテライトが現モード前線「日常」にロボットネタを合わせる無茶

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M3~ソノ黒キ鋼~ 第一話「降星ノ夜」 視聴15分

 

 ロボットネタでも80年代90年代クリエイティビティの帝王サテライト製作による新作ですが、一見80年代90年代感はありません。90年代後期以降の日常を生きる中高生のガキたちが基調にあり、そこに非日常的な現象やロボも日常に浸透している世界観の中での主人公たちの光と影、の空気が主です。ところが…

 

 

前回のブレイクブレイドの時に雑に分けたロボットネタ区分の②の14歳から21歳のガキの世界観によるメタファーとしてのロボ系統です。

 

エヴァ」以降のような少年少女の日常モードが基調。それを8090年代クリエイティビティのサテライトが合わせに行くような形。「マクロス」を作っていたところが「ほしのこえ」に近づこうとする感じ。

 

でも基本的な背景はそうでも、サテライトによる描写や画の造りに関しては、新海京アニ的なグラデーションやレイヤーを重ねた情感を喚起させる描写や、ハンディカメラやスマホカメラを通したような実感作りは全くありません。程よくいつものサテライト。

 

つまり程よく古い。日常モードは基礎設定から脚本の凡庸さを超えて映像にて空気感や情感を喚起させることが生命線だと思いますが、サテライトのクリエイティビティにはトップに河森正治がいるようにメカやアイドルのガジェットをいじくる方にあり、風景の情感や雰囲気という方向性にありません。

 

僕は観ながら早くマクロスの新作来てくれ、あれこそアイドルネタ・ロボットネタ二つが(製作構造やメディアミックス展開によるコンテンツ拡大って意味で)似通い重なり合っていたそれだと思っていたわけで、ロボットネタが現在日常(≒風景や映像の情感*1)モードへシフトすることでなんとか何らかの新しさを担保しようとしている、というのに合わせるよりかは、ベタでクドい方向の方がやはり合っていると見ています。

 

ところでこのブログは脚本芸術としての部分を完全に無視して映像の作りとキャラデザインメカデザインのみで観ているのですが(脚本面で観ると全アニメは基本的に浅くにしか踏み込んでいけないため、もの凄く面白くないからというのもあるし、映像を見れば脚本以上に作品コンセプトや目的が全部あるというのもある)、今作も岡田麻里氏が担当してるんすね。

 

映像でしっかり日常モードを作れるのが京アニなどなどを見える一方、脚本の方で作ってくれる役割で起用されてるんでしょうか?男女平等で日常主体で、中高ガキたちの光と影のメタファーとしての異名領域とそれと闘うロボですし、そこでは特に主人公たちの人間関係のゆらぎが特に主体になるので、それを書くのに岡田氏が適しているから?「ウィクロス」の方は映像でもそのムードを表現できてましたが、「M3」は…観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

 

*1:弐瓶勉作品の特色はデビュー時からその点に特化しているからだし、「シドニア」のアニメ化によってもたらされた新味というのもそこにある