17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

山村浩二が選んだ2015年のアニメのベストを観に行きましたよ

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 日本のインデペンデントアニメ―ションの代表的な作家である山村浩二が運営しているAu Praxinoscopeにて、氏が選んだ2015年のベスト5を自由が丘まで観に行ってきました。

 

 

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「会話」 アナ・ホルバット

 

 安西水丸のイラストレーションとか思い出す、ラフな描線で描かれた背景にタイトなキャラクターと言うデザインで、一人の女性が帰ってきたあとに乱雑に食事を作り、TVを付けるのだが…そこには不気味な巨大な男とその母なのかわからない女性と暮らす番組が流れるのでした…奇妙な番組を見終えた瞬間に終わります。

 

 解説に「1回見ただけではわからない」とありましたが、あとで「ヒントは冒頭の影、そしてテレビの内容」との解説がありました。すると淡々と殺伐としたあの生活の本当のところは…という方法のようです。

 

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「魔王」 ジョルジュ・ジュヴィッツゲベル

 

 今回の目当ては、おそらく世界最強のアニメートを持っているジョルジュ・シュヴィッツゲベルの新作でした。本作はグルーヴにシューベルトの代表的な楽曲に合わせて、シュヴィッツゲベルならではのアニメートも変動していく構成を取っていいます。

 

 シューベルト「魔王」の不穏さと優雅さが揺れ動く構成に合わせ、これまでのシュヴィッツゲベル作品らしからぬもの凄く線や塗りが崩れたパートと、パステルな色調で描かれたパートが交互に出てきます。これは「魔王」の楽曲中の、子供の不安を掻き立てるシークエンスと安堵の繰り返しをそのまま表現しすぎてて、ちょっと陳腐化もわからないかもしれません。

 

 ちょっと余談だけど、あんま重要なことではないかもしれないが、今回放映された5作品中、たぶん唯一アナログ制作なんだと思うんだけどどうなんでしょう。商業アニメーションの制作では、デジタル導入以降と以前で完全にクリエイティビティって変わってしまったと思うんですが、アートアニメーションでも同様のことは起きていると思ってるんですが、まだそんなにぼくが知らないだけかもしれません。

 

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「アザラシの島」 エドモンド・ヤンソンス

  幾何形体で描かれた、ある獲物を狙うハンターと写真家。カメラのスコープも銃口も向けているそれも、無関係に生きているもののテリトリーに踏み込み、干渉しようとしている時点で同じものだ…という寓話として描いているということは言えるのかもしれないけれど、やはりそれ以上にこのスタイルや、こうしたフィールドワークがネタになっているにもかかわらずの無機質さが面白いと思います。

 

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「ベンチ No. 0458」 イワン・マクシーモフ

 

 マクシーモフは学校や街角を舞台にそこに息づく人々(というかクリーチャー)をオムニバスで描く作風であり、今回はとある公園にて息づく人々を描きます。

 

 いわゆるカートゥーン手法で、一切のキャラクターを立てて脚本を描くとか、躍動するアクションを抜いたものというのがマジに奇妙というかロシアっぽいといいますか…(ここまで書いてマクシーモフ作品に関してはまた個別でどっかでまとめようと思いました…)

 

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「のこり-もの」 ティボール・バノチュキ、サロルタ・スザボ

 解説に「マジックリアリズム的な…」って形容があったから身構えっちゃったんだけど、実際の中身は日本の商業アニメのリッチなデザインとおそらく同じな手描き&デジタル彩色&グラデーションなど最終的な仕上げという構成で、しかもある程度脚本も出来上がっているので、

 

 なので実際のところ、日本の商業アニメを見慣れているならば一番観やすいと思います。例えるならば湯浅政明作画監督・伊東伸高によるアニメ版「ピンポン」に、京アニユーフォニアムとかカラーの新エヴァみたいなリッチな仕上げを施したような感じなんですよ。

 

 死刑囚、身体が半透明になり、病院にいる人間、狩猟を行う男たちなどなどがオムニバスで描かれる。全てが寂寥感を残す。今回の企画で14分の長編なんだけど、それぞれのエピソードを増量し、タランティーノやイニャリトゥの映画みたいに相互のエピソードが影響を与える構造にすれば普通に長編でもかなり行ける印象です。

 

 一方で、やっぱアニメートとデザインで全てを表現するのがアートアニメーションの主な評価軸になるんですけど、そこで脚本を描き、物語を分かりやすく伝えるキャラクターを作り、レイアウトやデザインを行う構造を持っている長編アニメーションと評価軸違うよな…ナラティブのあるなしで本当に違うよな…なんて思ったのでした。

 

最後に・山村浩二の新作予告

 

 なんと今年は新作"Parade" de Satieが公開されるそうです。”3人のマネージャーと4人のパフォーマーによる客引き(パラード)”というエリック・サティの音楽を題材に選んだ、これまでの山村作品と違うような一見シンプルなドローイングが基調に 

 

 「頭山」や「カフカ 田舎医者」などなど、古典落語実存主義文学の古典を原作に選び、そこからあのドローイング基調のアニメートを載せていく方法は構築されてます。だけど、近年の作品遍歴を見ていると、「マイブリッジの糸」あたりから作品のコンテクストや題材の背景の方によりウェイトがかかってきている気はします。

 

 前作はマイブリッジの生み出した連続写真こそが”映像の歴史の初期の記憶であり、またアニメーションの始原でもあったのではないか”という解釈から、映画やアニメが一瞬一瞬の時間を切り取ったものを重ねているという、映像が本質的に抱える時間そのものまでもテーマにしていました。今回は”サティ生誕160周年・「バラード」誕生100年を記念して作るとのことです。そのあたりの題材と手法のあたりに思うところはあります。

 

 

 

 ということでこの記事公開段階ではまだ2月の6日と13日に無料でやってるぞ!なんか作品が難解すぎてよくわかんなくても、運営の方がけっこう解説してくれるぞ!

 

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