17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

「召しませロードス島」は「ロードス島」にまともに歴史的意味を作れているのか?

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星刻の竜騎士 第1話「少年と竜」視聴時間カップラーメンが出来上がるぐらい

 

 ライトノベル発ファンタジーは前回ノーゲーム・ノーライフの時にも書いたように、中継点に対人で遊ぶテーブルトークRPGMMORPGを挟んだうえで発生という経緯のものが文脈的にパワーを誇っていると思いますが、そのうちにそんな出自も関係なくファンタジーは日本式のラーメンのように独自に形骸化しました。

 

 学園うんたらで異能力云々というものの出自はどこにあるのかは分かっていませんが、それもまたライトノベルネタの主旋律のひとつです。その二つがミックスされているというとりあえず蕎麦屋にカレーがある感じ、もしこれが有名チェーン店との戦い(ラブライブやらジョジョやらの今のアニメ)ではなく学校の部活やら何やらで作る料理(pixivやらTwitterやらで友達にだけ見せて上手いね面白いねというコミュニティ)の内部で楽しんでいるならばそれは幸福なのにな。

 

 

 

 

召しませロードス島戦記~それっておいしいの?~ 視聴時間テレビ番組がCMあけるくらいまで(あっそれもう視聴フルか)

 

 ロードス島戦記は発売から25周年を迎え、ライトノベルでありながら今年豪華本までも発行されるなどなど、特に歴史的な意味深さがこのジャンルの中でも特筆しています。

 

 なので今ロードス島の功績を上手く語るというのはとてもいいんですが、しかしこれは何でしょうか?うすら寒い10年前デザインのキャラがわちゃわちゃやってるという扱い。日本は漫画やアニメ、ゲームといったメディアを武器にしてクールジャパンなんていって世界に輸出と同じく島国であったイギリスの文化政策であるクール・ブリタニアを模倣しようとしていましたが、もともとのイギリスと日本の政策の違いのひとつにはきちんと表現の歴史的な文脈を抑え、その上で世界に送る戦略を立てることがあります。

 そしてその歴史的文脈立てってことで過去のエポックになった作品がどう革新的だったか、ジャンルの歴史の中でどう意味があったかを設定していく所作が必要になっていくのですが、むしろとくに日本のアニメ・漫画・ゲームの方面にてそうした動きは極端なレベルで低いです。「召しませ」の雑さ・不誠実さを見ててふと思いだすのは、かつて日本では浮世絵は芸術的価値を持たず場合によっては紙屑みたいな扱いだったのだが、ヨーロッパのアートシーンを経由することによってようやくその歴史的意味・美術的価値を規定することになった、という経緯です。

 

 外国の方も日本のラノベアニメゲームをやってる人多いし、あっちの方が懸命に歴史を洗いなおす、みたいな経由で「ロードス島」もやっと歴史的評価を上手く確定できる、なんてことしない限りまっとうなものはないなんてことになったらトホホです。観たアニメは忘れましょう。でもできれば培った歴史も正確に作り上げ、過去を評価して未来に会いましょう。