17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

昭和のある年代より下の原作がアニメ化すると「エクストリームリメイク」が発生する

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メガロボクス 予告視聴フル

 

予告で視聴フルもできなかったらいったいどうするんだって話ですが、前々回の古い原作・古い漫画リメイクネタの続編になります。

 

「メガロボクス」…なんと「あしたのジョー」が原案というもの凄いものなんですね。ええ?ジョー…なんなんでしょう?80年代中盤~90年代前半の原作なら今の技術でリミキサーされる形でアニメ化はわかるんですけどこれは…

うすうす感じていたんですが、たぶんある年代以下にまで原作の年代が下がるとこれ、ときどき起こりますよ。いま命名しました。エクストリームリメイクが起こるんです。

 

いや~…「あしたのジョー」は何回も読み返したし、読むたびに解釈が変わりますし、本棚に戻す時にしみじみした気持ちを残して読み終えるんです。しかし予告を見る段階でもう…直感しましたよね。絶対このアニメ本編ではマンモス西はサイボーグ化してると。

アニメは萌えアニメばかりでドラマを描かない!みたいな言説には抵抗していきますけど、ではドラマを求めようとして昭和の原作をもってくる場合、絵柄や設定に張り付いている昭和の泥臭さを洗い流す過程でドラマの根本にあるものまで洗い流すケースがあるのではないか。なのでちょっと今風にする。ところがそこで…発生するのです…エクストリームリメイクが。ちょっとエクストリームリメイクに当たる作品を思い出しましたよ。

黒澤明七人の侍」→「SAMURAI7

日本映画の世界的傑作かつ、いま見てもわくわくする一大エンターテインメントである「七人の侍」をどういうわけかアニメ化。でも時代劇にはせずに、なんとSFみたいな世界交じりにするという、まさしくエクストリームリメイクの代表作と言えるでしょう。

 

手塚治虫鉄腕アトム」→「アトム・ザ・ビギニング」

赤塚不二夫の「おそ松くん」がうまい具合にあの絵柄のままデザイン的に再解釈されているというのに、手塚治虫の場合はストーリーというくびきがある以上、原作の絵柄準拠と言うのがありえないゆえにこうしたかたちでアトム再解釈。ちなみにいちばんすごいのはやっぱり浦沢直樹の「PLUTO」です。

 

いま思えば「鬼平」ほんとよくあの方向性を保ったままアニメにしましたよ。ほんとうによくやった。いまこそ「鬼平」を褒めるべきですよ。けっしてデザインも悪くないですし。「うーん古い原作だからさ今の子にもウケるように変えましょうよ~鬼平の周りの侍に年下、ライバル、お笑い担当、ミステリ担当って分けて鬼平にちょっかい出すんです。日光江戸村で声優ライブするんです」さすがにキャラクター販売や声優ライブに関してこんな現状認識が崩壊している業界人の会議があるはずないんですが、企画を通す時に迷いが生じかねないところをあのムードをよく保った。本当良く保った。

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あとは「はいからさんが通る」もよくやった。ちょいちょい原作から違うとこありますけど許容範囲。

 

 

そして「Devilman crybaby」は昭和の皮膚感覚を洗い流しているに関わらず、現代の皮膚感覚として考え直したエクストリームリメイクの中で重要な作品だと思います。あれは永井豪の物語手法や原作再現はまったくできていない。でも現在だからこその別のドラマを持ち込むことに成功してます。

なんでジョーが現代のボクシングの価値観によるまっとうなリメイク考えないんでしょう。ジョーが変なメカニック装備して殴り合う映像で、あの原作のドラマツルギーを持ってこれると想像することは困難です。

 

この書き散らしを描いている間もゲゲゲの鬼太郎がまたアニメ化するとの話が入ってきました。これは正当なアニメ化なんですけども猫娘に限ってはエクストリームリメイクしているのかどうか判断を迷っています。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。