17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

テーマを口に出し細やかに説明した瞬間、緊張感ある空気は消えゆく ガッチャマンクラウズインサイト #10

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 作品にこと細やかに説明すればするほど多様な解釈が可能な自由がなくなっていきます。ある意味では「パトレイバー2」で戒厳令が発動し、日常風景に戦争の影が忍び寄る以来の歪んでいく日常のアニメートに魅力がありました。

 

 くうさまの正体で「この国の空気が~」そしてモノローグで興ざめしなかったひとは果たしているでしょうか?なんでしょうね。副音声映画とかそんな揶揄があるくらい、説明過多にして目の前で繰り広げられる映像の広がりが全部なくなっちゃうってやつ。非テキスト批評のこっちとしてはくうさまの正体が日本の空気なわけねえだろ!といいたいです。いいのか?それでいいのか?

 

 いやあくまで日本の空気とか同調圧力どうこうだとしますよ、コンセプトとかテーマはそりゃライナーノーツなりにグダグダ描きつけられてるものです。テキストや物語から離れる現代アートでも稚拙なやつほど長々と作家がコンセプトやテーマを描きつけているものです。しかし、出来上がった映像が持つ美しさ面白さは、作家が口に出しているコンセプトやテーマでは回収できないものです。なので「観客の作品の解釈が作家本人にとってまったく想定していなかったことで、むしろ作家自身も自分の作品にがそんな風にも見えるのかって気づく」みたいな現象が起きるのだと思っています。

 

 ぶっちゃけアートアニメとか日本アニメ(ーター)見本市10分くらいの短編アニメーションにするとして、人々に浮かぶ吹き出し~くうさまが立川を覆いつくすという日常が不気味に歪むシークエンスの魅力のみを抽出したら本作のアニメートの一番良い部分が出ていると言えるんですが(まあだれかMADかなんかでやってみてください)。それを汚す脚本なのはきついですね。

 

 皮肉ですよ。空気やらムードやらをテーマにしながら、テーマやモチーフを作中口に出してしまうことで作品全体の緊張感やムードが完全に消えてしまう。抽象的で実態の無い敵に関して当初風刺的なアプローチだったのにかかわらず、本当の敵が日本国民のムード、そしてガッチャマンに変身して普通に攻撃して消していっております。パイマンが「敵は空気だ!」といいます。作品の緊張感の空気が外れたまま殺し合いになります。

 

 ぼろくそ書きましたが連続アニメ作文らしくオチはどうなるのでしょうという予想で締めます。ゲルサドラが吹き出しさまみたいなの引き揚げて消える半ハッピーエンドオチだとやだなあ、クラウズ再配置オチもやだなあ、rhythmくん脱獄してるしどうなんの、でも「一つになる空気とかクラウズなくても人類はアップデートできるどうの」つって締めるオチでなければなんでもいいかも。 

 コンセプトとテーマ、アニメートの話は今回で終了しましょう。話を締めるのは主人公のつばさちゃんゲルセドラの関係にクローズアップされて決着するのが本命じゃないでしょうか。次回ラストですっけ?

 

 

ガッチャマン クラウズ デザイナーズノート

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