17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

アオハライド 今の萌えキャラデザイン構造と篠崎愛の人気の正体

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アオハライド 視聴 プログレッシブロックのインストくらい 制作:Production I.G

 

 「一週間フレンズ」とかあの辺の原作のあの年代のあの人間関係の影や混乱する精神の影の表現として、淡い水彩調の画面構成にするという方法は近年ではよく見られます。

 

 アオハライドは冒頭そうした小さな永遠を表現するかのように淡い水彩画面で、髪や服にもぼやけた水彩的なアレンジが加えられた徹底ぶりです。さあここからどうなると思ったところで…現代に突入し、何の味わいの無いてかてかな画面へ変わります。その映像は孤立を恐れて周りと合わそうとする方向へ向かう味気なさと同義…

 

 

 しかしこれには計算入ってるんでしょうか?孤独で淡い精神状態だった中学時代の内面(映像的にどう見ても美的な行間を求めている画面)と、さすがにこれはまずいから高校になって周りと合わせていくように適応しなおしてくっていう現在が味わいも無いテカテカ画面(お話の推進だけあればいいやって画面)になる差。

 

 絵柄的に痩躯の体型であり、小顔であり、まつ毛がビシッと現れていて、白目の配分が多い少女マンガ絵柄やディズニープリンセスの顔などは女の子本人の自意識の強さや美的な強さ求めるとああいうデザインになると思われます。現実に適応して強くありたいってのと淡い精神の混ざり合い。どストレートに女の子のものである少女マンガラインってのを上手く現行アニメシーンに翻訳するなら、昔からこんな感じです。

 

 逆に京アニデザインからラブライブまでの今の主流の女の子のキャラデザインは女の子の頭はデカく頭身は低く、黒目が圧倒的に瞳を覆うって構成要素は幼児から赤ちゃんのバランスです。つまり子供に退行させたまま高校生にさせているという倒錯だと思います。わかっている人なら今更ですね…この辺は2000年代初動から中頃くらいにあった苺マシマシどうのというマンガが「頭身の低い、赤ちゃんや幼児の体型の女の子だけどファッションはすごく現実的でおしゃれ」というあたりからデザインレベルが変貌した気がしますが、どうでしょう。

 

 少女マンガの要求する自己の強さを求める方向と真逆に、主要客のオッサンの欲情からスタートして手籠めに出来るラインがものすごく弱い子供か赤子。その市場に振りまかれた欲望のラインやフォームを理解したままデザインしなおしたのが近年の動向。夏のモード冒頭で、中高生の女の子キャラの背がどんどん縮むのはなぜ?と思いましたがそういうのも理由の一つという仮説を投げてもう寝ます。

 

 さらに余談ですがグラビアアイドル篠崎愛の人気もそういうことじゃないでしょうか。瞳を黒目が覆う。子供(赤ちゃん)のまま大人の肉体。構図は似通ってると思うわけです。余談は忘れてください。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

アオハライド 10 (マーガレットコミックス)

アオハライド 10 (マーガレットコミックス)

 

 

 

アオハライド 1 (マーガレットコミックス)

アオハライド 1 (マーガレットコミックス)

 

 篠崎愛/愛のままに…

 

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