17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

『暦物語』かつて存在していたかもしれないアニメのネクストステージ

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暦物語』 視聴すこし

 

アニメ・物語シリーズが開始から10年を突破しました。他に追随する作品がないまま、独自の存在を保っています。

2009年~2012年は京都アニメーションとシャフトが全盛を迎えており、客の注目度、セールスのみならず、そのデザインや内容、商業の最大のフックであるキャラクターというものの取り扱いや距離感も好対照を為していたと思います。大ヒット作にもかかわらず、どこか深夜アニメの基本構造から実のところ距離を置いているアンビバレンスがあったと思いますね。今回は思い出語りです。2008~2012年くらいは本当はものすごかった、という。

 

今2018年ですか……およそ10年ってもう一つの時代を振り返るのに十分な時間ですよね。UHF系のTVアニメがものすごい評価を得て、やがてコアなファンを超えてポピュラーになっていく過程。その過程では本当はドラスティックな変化があったと思います。いろいろ深夜アニメの構造だとか、キャラクターの構造なんかを少し俯瞰して見せる部分ってありました。

そしてそのスタンスが行きつく先はどうなるのか?アニメのデザインというのはもう少しデザイン的なものになり、そこからさらにスタジオや作品ごとの差別化が一般化するネクストステージにいくものかと思いきや……と今期のアニメーションを振り返りますと、結局のところそうはならなかった。

では10年前に観られた、どこかアニメ的な慣習を俯瞰して作っていたような監督たちはどうなったか? もう劇場版長編のほうへと軸足を移行してしまっているのです。

『歴物語』の実験的放映形態、そしてその他の物語シリーズは映画興行に移行しました。 それだけではありません。京都アニメーションは商業としてのUHFアニメと作家としての映画版の作風が別々に分かれ、湯浅政明は映画とNetflixに移行しました。

UHFアニメのあの時期は商業という枠内でありながら、どこかぎりぎりのところで「アニメ的な慣習に乗っ取っているけど、どうやらそうじゃない」良さがあったと思います。

山田尚子監督作品はどれも最高なんですけど、しかし一方で。『行け!稲中卓球部』の古谷実が『ヒミズ』以降の無力や暴力の作家性を掘り下げる方向性になってしまったことを息苦しく思うのにも近くて、『けいおん!』のころのぎりぎりさを懐かしく思うところもあります。(そしておそらく、『リズと青い鳥』を掘り下げたものはこれから何度も作るでしょうが、もう2度と『けいおん!』的なポップさを作ることはできなくなっていると思います)

2006~2012年くらいの完全に消費物の度合いの高いフィールドで、野心的なデザインで本当にヒットを出していたことはやっぱうまく振り返っておいてもいいかもしれません。とはいえ、今現在も通用し続けているか?というとどうでしょう。『歴物語』、そして物語シリーズはどうなっているのでしょうか。週刊少年マガジン大暮維人による漫画版みたいな展開を見ていると苦しいものを感じます。

この苦しさの中に「結局TV放映の商業の範疇に過ぎない」という、気の利いた流行りもの以上のものではないのかもしれないな、という限界も感じます。映画は時間経過にある程度耐えうる鑑賞の構造はあると思いますが、TVアニメは本当に忘れられること前提なかんじあります。

TVアニメでの長期にわたる残り方、が結局エヴァというのはつらいことではないか、と『未来のミライ』の劇場予告で最新作が発表されたことが話題になっていることを脇でみながら考えていましたよ。今『けいおん』も『らき☆すた』も『化物語』も『まどかマギカ』もそのすべてがつらいでしょうか?それとも、まだ見れるでしょうか?観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

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@sodatschkoさんというとても知能がユニークな方が面白い突っ込み方をしているのでここに残しておきます。本文をちゃんと読めるようになったらいいなー。