悪偶 -天才人形- 視聴18分
『悪偶 -天才人形-』は手軽にカルチャーショックを受ける体験として優れています。
中国のアニメーションが近年放映されることも多くなってきていますが、まだ日本ではキャズムを超える評価はないですね。アニメ!アニメ!様で近年の中国のアニメ産業に関しての詳しいインタビューが公開されており、日中の市場の違いについて興味深い内容となっています。
今後、日中の市場はどう変わるのか?融合するのか?それとも別ラインとなるのか? ポップミュージックにおけるUK市場とUS市場みたいになるのか? などと考えると豊穣なのかなあと思ってます。
とはいえ、何かいかんともしがたい差を感じたのが今回の『悪偶 -天才人形-』です。原作はなんと中国のテンセントの運営する漫画サイトから。世界最大のビデオゲーム企業として名高く、今ならバトルロイヤルの『PUBG』のパブリッシングやスマートフォンでの展開を行っている企業と言えばわかりやすいでしょうか。しかし、独特のカルチャーショックが次々と襲い掛かる内容です。日本のスタジオディーン制作なのにどういうことでしょうか。
『悪偶』とは世界には天才が存在するが、その裏には天才を天才たらしめる超常現象が存在するというホラーです。ですが、怖いとか奇妙だという待ちがことごとく違う方向へと向かうアニメなのです。
昔から言われますよね。笑いと恐怖のツボはなかなかローカルなものがあるから、「えっそれで笑うの?」「こういうところから恐怖を持ってくるのか」みたいな。『悪偶』でまずそれを感じるのが冒頭の意味不明な主人公の行動なんですよ。
冒頭の説明をしている間に自分はバレエダンサーだから思わず開脚をしてしまう。映像が示しているただの事実。事実は多様に解釈されます。「これは笑わせようとしている」という解釈。「主人公の狂気性を示している」という解釈。心が動かないほど、ただ目の前に起きている事実だけを純粋に見つめ、多様な解釈を可能にします。
その一方、作中漫画として出てくる超常現象を示す漫画の悪偶の絵柄の、ものすごい根本敬的なドローイングの圧の強さも日本のアニメフォームに見慣れていた中であまりにも重たく視聴者の臓腑を撃ちます。90年代的サブカル趣味がオタクのルサンチマンによって駆逐されたそれがいま蘇る。そんなことありうるのでしょうか。我々の国家は未来に生きてるからありえるのでしょう。
よくわからない尻を突き出したカットもやはり、ただ映像が指し示している事実以上のものはありません。「これはエロを目的としている」、「体が疲弊しているということを示そうとしている」、「この後の狂気の展開を予見している」など、多様に解釈されるのです。
極めつけは、主人公が超常現象を見破るための道具です。ここまでに積み重なってきた「いかがなものか」の総決算となるデザインとなっているのです。すべての観客はこれを見て「いかがなものか」と心のどこかで、この心の片隅で思うことでしょう。
日本のアニメはANIMEという形で英語圏にそのスタイルを解釈され、無意識にANIMEというものを共通言語として違和感のないものだと思い込んでました。しかし『スーラジ ザ・ライジングスター』(インド版『巨人の星』)から本作と、どこか共通言語から逸脱したフォームがある。英語圏よりも、アジア周辺のほうが共通言語としてなんとか通じる部分(すでに日本、中国、韓国、台湾とANIME的フォーマットの描き方の需要と供給がある)と、もしかしたら差がある何かがある。そんなことを思い知らされる体験になるのです。
ちなみに、中国での商業アニメについて詳しいちゃにめ!さんを見ると、「えっこれを日本でも展開したらいいのに」という作品がかなり見当たります。いや、本当に『悪偶』はどういうことでしょう。アニメーション日中合作の狭間が生み出した謎。観たアニメは忘れましょう。そして培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。