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葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

Netflix時代にあらためて意味を持つ「オリジナルビデオアニメ(OVA)80's テープがヘッドに絡む前に」書評

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80年代再評価って2000年代に入ってから各所で行われ続け、現在に至るも続いています。そのなかでもOVAがあれだけ一時代を築いていながらも、なかなか体系的にまとめられたものを読む機会は少なかったりします。

「オリジナルビデオアニメ(OVA)80's テープがヘッドに絡む前に」はこうした書籍がまとめられるには80年代再評価の中でも意外に時間がかかったのではと思う一方、ちょうど今読むほうが凄く興味深い点が多いですね。というのも、これが意外に現在のNetflixオリジナルアニメ、またはとある音楽ジャンルに繋がる部分が多数見られるからです。

 

 Netflixオリジナルアニメ第一陣はたぶん、80年代OVAのおしゃれリバイバル

ぼく個人はここのところIGN JAPAN様にNetflixオリジナルアニメをいくつかレビューを寄稿させていただいたのですが、基本的にはオーソドックスな劇場版長編を評するようなスタイルで書きました。

 

しかし遠い目で見れば、単体の映像作品として語ることはもしかしたら全体を見失っているかもしれません。「B」はあまり良く書いていないんですけど、あらためてNetflixオリジナルアニメというコンセプトを考えればまた違うのではないか。

Netflixオリジナルアニメというのは、さんざん言われている「制約のない自由」とか「表現」とか、「国際的」という華やかなイメージはやや違うなって思えてくるんですよ。単純に作品性で評価する他の期待もかけられてる気がするんですね。

デビルマンから最近のAICO、翻って海外制作ですが「悪魔城ドラキュラ」までの点と線を繋げて見えてくるのは、グローバルな作品群というよりもむしろ禍々しく胡散臭いがおもしろい80年代オリジナルビデオアニメ的、というのが正しい気がしています。(同様の評価をしていた人も幾人か見かけた記憶があります。)

そうなんですよ、Netflixオリジナルアニメはものすごく期待をかけられた、おしゃれなOVAリバイバルというのがいまのところの結論です。スターアニメーターの織り成す、脚本よりもアクション優先したスタンスにゴア、エロ、セーラー美少女、広く宗教も含む反社会性、ハードSFを貫く態度。

そのいずれもがアンチメインストリームであることの自由であり、80年代のOVAの持つ禍々しい面白さに重なるのではないでしょうか。そう思うとNetflixオリジナルアニメとして名を連ねる「ソードガイ」の面白さもそういうことではないでしょうか。切り株映画とかB級のゴア映画に近いフィールドではないかと感じています。

 

本書を編集したのも典型的なアニメメディアではなく、またこうした企画本と言えば洋泉社映画秘宝編集部あたりの出番だと思うのですが、意外なのはなんとパンク雑誌の編集やデザインを行う松原弘一良氏のMOBSPROOFが中心となっていることです。

そんなバックグラウンドだからか、本書の折り返しではOVAを「衝動的破壊」と「創造活動」の連鎖を起こした」と評し、ある種のムーブメントということを意識した編集方針なのがいいんですね。基本はガイドなんですけども、作品論的なのとは別の趣があるわけなんですよ。

 

OVAがクリエイターたちのオリジナル企画が商業で流通できる土壌になっていたことは、90年代以降に(俗にジャパニメーションと呼ばれたような)英語圏にも広げ、評価されていく監督たちが多数関わっていたことからわかります。なにせOVAの開祖『ダロス』の監督が押井守であり、漫画界のニューウェーブのひとりだった大友克洋が『AKIRA』のアニメ化で以降のキャリアをアニメ監督として決定的にする前段階として『ロボットカーニバル』や『迷宮物語』などで短編を製作していました。また川尻義昭もみのがせないでしょう。耽美さとゴア、鮮烈なアクションに特化した作風は、いまこそNetflixで『獣兵衛忍法帖』の新作をやってほしいところです。

 

ところが本書では、すでに名を成している作家の関わったOVAは散々語られているのもあるのか誌面を裂かず、それよりも時代の中で消えてしまったが、当時はコアだった作品についてを大きく語りなおしている印象があります。押井や川尻以上に『ドリームハンター麗夢』『戦え!イクサー1』、そして『メガゾーン』シリーズであるし、そこでは萌えという言葉が成立する以前のエロ、そして一般TV放映ではやりにくい人体切断や人体破壊のアニメートをおこなってもいるのです。

 

マカロニウエスタン語るのにセルジオ・レオーネの話ばかりというのは正鵠を射るとは言えないですから、これも納得の方針です。作家性を発揮したアニメーターの一人として湖川友謙が高い存在感を示していたというのもわかりますし、果てはコラムに宗教OVAとか教育OVAまで触れているのです。

 

面白いところではOVAは『湘南爆走族!』をはじめとする漫画原作のヤンキーものもかなり取り扱っていることですよ。その背景を「ヤンキーたちの暇つぶしといえば、本屋かコンビニ、そしてレンタルビデオである。80年代当時、レンタルビデオの棚を占拠していたジャンルはアクション、ホラー、往年の名作、アダルト、そしてヤクザ映画がメインであった。」「行き場をなくした男たちの娯楽の場…それがレンタルビデオ店だったのである」(P.63)と解説。そう、オタクもヤンキーも取り込んだ、レンタルビデオ店からの一大エクスプロイテーションフィルム、それがOVAのムーブメントという背景も見えてくるわけです。

 

音楽で起きた80年代OVAの再生

ぼくがある意味で補足できればと思うのは、音楽の方面で起きた日本アニメーションのコアな意味合い、ということでOVAから引用されていると思わしき、Future FunkやNu Disco勢がPVですね。詳しくはKai-youにて特集されたこちらのページを参照いただけるとわかりやすいでしょう

 

Synth WaveアーティストLazerhawk のPVに引用される「ガンスミス・キャッツ」

彼らは80年代というものをネタとしていじるというか、嘲笑するという意図もリスペクトという意図もあんまりなくて80年代特有だった事象や音響というものを、時代の中で消えたものではなく、音楽を形成する一つの材料として純化させていると思います。

シンセウェーブの音は20年前では「時代に消えたダサい音」という、トレンドの中でのものという評価でしかなかった。でもインターネットミュージックによる再評価から再評価の果てに、遂にシンセの音は「過去を思い出す、リバイバル」ではなく、80年代キッチュを繰り返すなかで現在の音楽を表現するためのものとして純化された感はあります。

それに伴い80年代OVAのもつ「時代に消えたと思ったが、インターネットのサンプリングの果てに伴う意味の再発見」は大きく、いままたNetflixの時代と合流することで時代のあだ花となったのではなく、今読むことでまさにあの禍々しいパワーが現在に接続されていることを確認できます。

 

 

オリジナルビデオアニメ(OVA)80'S: テープがヘッドに絡む前に (MOBSPROOF EX)

オリジナルビデオアニメ(OVA)80'S: テープがヘッドに絡む前に (MOBSPROOF EX)

 

 

執筆者のひとりである吉田正高氏も、自身のTwitterで私物のOVAのジャケットを公開。物質メディアとしてどんな雰囲気であるのか?を感じられる写真を載せています。

※このエントリは2週間以上前から執筆していたのですが、3月31日に吉田正高氏が亡くなられたことが発表されました。ご冥福をお祈りいたします。