17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

この世に自分が理解できない客がいる、という事実を受け入れるということ

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甘い懲罰~私は看守専用ペット」 視聴フル

この世には自分がまったく理解していない客がいます。ところが、その事実を受け入れるのは難しい。

 

どういうことか。昔、携帯小説が流行った時、少なくとも普段一般文芸を嗜む層からすればそれは理解できない客ができ上がっていると感じたことでしょう。一応言葉にすれば高校生の女の子を中心にその感性の近い同年代の作者が携帯小説発表サイトで作品を発表したことから人気になっているらしいという理屈はわかる。

理屈は分かるけどその作品に惹かれる情緒、コミュニティといった皮膚感覚では理解できない。これはまったく知らないジャンルのクラスタなら誰でも起こることなんですけど、携帯小説の場合は書店にて謎のコミュニティから人気を勝ち取ったそれが東野圭吾やら伊坂幸太郎やらと同じ顔をして平積みにされているという光景は、ひとつの謎や恐怖を生んだことでしょう。

そう、同じ小説というジャンルを取り扱っておりながらまったく情緒的に通じ合えない何かを目にした瞬間の恐怖。それが自分の理解しているジャンルなのに、理解できないクラスタやコミュニティからきている客ということです。漫画読みにとっての漫画村の恐怖心。インターネットユーザーのはてなブックマーカーにとっての爆サイの恐怖心。

「甘い懲罰~私は看守専用ペット」アニメのジャンルを観ながら、これが映像化されるという恐怖心を覚えます。ぼくもスマホでいろんなサイトを回っているときに僧侶があれこれしてるまんがの広告を目にはしていました。

 

それがアニメになった時、ぼくはひとり怯えていました。いったい何が起きているんだ? というか5分アニメにしてまでねじ込みたいその情念はなんなんだ。一回ちらっとみたらセックスシーンを大胆にカットするセンスも恐怖でした。いまどきアニメのエロ描写も温泉回に光が局部を隠すみたいなことをあたりまえにやる中でそこをカットするということは携帯小説がめちゃくちゃな文体で性犯罪被害や難病をカジュアルに描いている恐怖心に通じています。

僧侶の力は増幅し、加速します。「25歳の女子高生」がニコニコ動画アニメチャンネルの一角で目にしたときファミレスで危ない客を目にして視線をそらすようにCCさくらリメイクをクリックしましたが、そのうちいなくなるという展望は当てが外れました。僧侶たちの力を受け、ついに今期も「甘い懲罰」が登場したのです。

ぼくは携帯小説が加速していき「恋空、映画化 主演:新垣結衣」とテレビCMにまで告知されるまで広まったときのことを思い出しました。世界は自分の理解できない客で構成されている。「甘い懲罰」は皮膚感覚で謎の世界でした。そして案の定セックスシーンはカットでした。

もういいんだ、ここまで僧侶が加速した以上、事実を受け入れよう。少し理解しよう。ぼくは看守がここまで増長することになった本拠地コミックFESTAに向かいました。公共の場でスマホでいろんなサイトを見て回っているときに、うっかり人に見られたらがっくりくる広告をばらまく帝国のひとつを。

 

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帝国は想像以上に栄えていました。ぼくがその軍事力を感心させたのはえろ広告でげんなりさせる5指に入るであろう「女子が落ちた先に俺の~」がVR版が遊べるということです。

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なんとVR本編以外にもメイキング映像まで用意しているという力の入りぶり。数百万ダウンロードによって名を上げたその先のメディアミックスがこれだったり、「甘い懲罰」だったりなわけです。

たとえば今映画だったら「ブラックパンサー」なり「シェイプザウォーター」なり詳細な論評があり、その論評から論評を生みつつ人気と評価が盛り上がることで客層を想定することができるのですが、この世界には一切の論評が存在しない世界で買っている客層がいるという事実を、時に無視できなくなるのです。

ただアンダーグラウンドやローカルの範囲でとどまっていれば話は終わるのですが、名前も知れない誰かが課金し、購入し、テリトリーを広げていくことで今日のTOKYO MXで次のアニメの放映を待つ間、ニコニコで今季の作品を探す間に看守と僧侶がぼくらと目を合わせることになっているのです。この世界には言葉にならない客が膨大にいるのです。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。