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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

実験的にして根源。映像研究と音楽のアマルガムを生む作家ノーマン・マクラレン

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 前回に続いての National Film Board of Canada (以下NFB)系統の作家だけど、今回はその中でも世界アニメーション史、いや映像表現史的にも特異でありながら根源的な仕事を為してきた作家ノーマン・マクラレンを取り上げてみる。

 

 今のようにデジタルなどによって様々な映像が製作可能になる以前のアナログでの時代、マクラレンは数々の手法を駆使して新たな映像を作り出そうと模索していた。そのなかでもアブストラクトのアニメ映像群は、まさに音楽、いや音というものそのものの映像化の試みによってそうした抽象的な映像が生まれたかのようだ。

 

 

     真っ暗な中、どこかアンビエントなBGMに乗せ、わずかに光の輪郭を持つダンサーの動きがダブで広がる。60年代のものだがクールだ

 

 マクラレン作品はキャラクターであるとか、カメラのカットであるとか、特撮をいかに本物のようにするか、寓話的なシナリオを込めるかといったあらゆる具体性から手を引いており、生涯をあらゆる映像の実験によって生まれる抽象性を探ることに費やしている。

 

 実写によるコマ撮り映像であるとか、ダンサーの映像をダブらせることでグラフィカルな映像を生み出すなどなど、映像に仕立て上げようとする様々な過程そのものから生まれる、映像ならでは生まれる特異な魔術を自覚的に追及しているかに見える。

 

    「即興」の意味の強い音楽ジャズに乗せて、「即興」で反応したかのような

 

 その中でも特に重要なのは、やはり根源テーマのひとつである映像と音楽のシンクロだ。これは具体的な「ファンタジア」から今のダンスアニメたる「ラブライブ」に至るアニメーションでも共通する部分だ。マクラレンは実験的な映像手法の中で生まれる、抽象的なアニメートの数々と音楽や音響を合わせることで、もしくは逆に音楽や音響を映像化させる形で抽象的な映像を生むのだ。


 画家のカンディンスキーやクレーをはじめ、原初的な抽象表現の発生の背後には音楽の影がある。音楽は連続し具体的でなく感情を呼び覚ます。その聴覚による感動を視覚芸術として表現しようとする際に、初期の抽象の表現が発生する。マクラレンのアニメの根源的な何かとはまずそれが一つあるように思う。

 

 前にエントリにした水江未来の作品も線や幾何形体のみが踊り動く作品もあり、おそらくはノンナラティブであり抽象表現によるアニメを極めたノーマン・マクラレンの系譜にあるのだと思われる。マクラレンはその映像の実験のなかで、音と映像という根源性に関して未だ意味を放ち続けている。

 ノーマン・マクラレン作品の多くはNFBのサイトにて公開されており、観ることが可能になっている。