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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

真のリミテッドアニメはアートアニメーションへと繋がる。ジョン・ハブリーの変転

クラシックアニメ
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  リミテッドアニメーション…これほど解釈が混線しているものはないだろう。

 

 日本のそれはTVアニメはじめ、限られた製作費で毎週公開するため、ストーリーとキャラクターがわかればよいために作画枚数を抑え、バンクを多用したり、一枚絵を使いまわすといういわば”省力”で大量生産を行うために発達したものだ。*1

 

 海外でもTVシリーズなどで量産する場合、作品によってはそれほど事情は変わらない。だが、省力とは全く別の、リミテッドアニメーションでなければ追えない可能性がある。そのことに自覚的であり、フルアニメーションの方向に批判的だったのがアメリカにかつて存在したUPA(ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ)で、そこで活発に作品を生みだしたのはジョン・ハブリーだった。さて、真のリミテッドアニメの意味とは?

 

 フルアニメーションのリアリズムに反抗するリミテッドアニメーション

 ディズニーやフライシャースタジオに代表されるように、キャラクターの絵が実写映画と同じ一秒24コマの時間感覚で息づき*2ロトスコープを使用して実写の人間の動きをトレースすることでアニメーションが実写映画並みの強度の高さを作り上げようとしていた。

 

 UPAに代表されるリミテッドアニメはそうした垂直方向へのアニメの進化に対しての大きなカウンターだった。膨大な作画枚数と人員をかけることによる豪華なアニメーション。それはゲームでいうところのFFやメタルギアソリッドみたいなものを作る垂直の進化の方向性だ。

 

 でもゲームの面白さが実写的なリアリズム化を徹底していくことで決まるわけではないように、少人数製作で少ないデータ量でも多彩な切り口や表現を可能にするダウンロード界隈でのインディーゲームって流れが現在あるような感じで、リミテッドアニメーションのポイントとはそこだった。

 

 つまりリミテッドアニメーションとは少ない製作人数や作業量であっても、アニメーション表現の中で拡大した水平方向での進化に注目した。アメリカでのそれは「平面表現を立体的・現実的なものだと錯覚させるリアリズムやイリュージョン」に対し、「動く・連続する平面表現そのもののマジック」に着目していた。

 

 ジョン・ハブリーの経歴はまさに商業アニメーションが突き詰めたリアリズムから、オルタナとしての表現へ変転するフルアニメ・リミテッドアニメの別れ方そのものだ。

 

 もともとディズニーのレイアウトとしてスタートし、「ダンボ」「バンビ」そして「ファンタジア」などなど黄金時代に関わっていた。ところが1941年のディズニーで起きたストライキ中に退社。その後に軍隊のプロパガンダフィルムの会社に所属し、リミテッドアニメーションの歴史的な存在となったユナイテッド・プロダクション・オブ・アメリカ”UPA”に所属する。

 

 このあたりは英ウィキペディアをなぞったので、ここからは詳しいことはいささか抜けたまま書くけどこうした経歴はなかなかに皮肉さがある。「カートゥーンだけども、実写映画並みの動きや時間感覚を持ったリアリズム」の追及の裏には当然アニメーターたちへの多大な行使があったほかに、十分な給与体系を形成できていなかったという事情がある。労働環境を巡りディズニーではアニメーターによる大きなストライキが起こるのだ。

 

 その中でディズニーを退社した人間がUPA米国リミテッドアニメーションの発展に大きくかかわっているということは、掘り下げれば少人数で作画枚数を使わない平面表現の追及といったオルタナというだけではなく、アニメーターたちの労働環境の部分にまで関わってくるものだったようなのだ。

 

ミッキーマウスのストライキ!: 米国・アニメ労働運動100年史

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 ジョン・ハブリーのクリエイティビティ

 

 ジョン・ハブリーの作品はその平面表現のマジックが存分に生かされる。まず映像を一見すれば極めてデザイン的な・表現主義的な平面構成による画面作りが基本になっている。それはキャラクターの造形、背景美術をみてもそうだ。

 

 ディズニーなどはカートゥーン発・ミュージカルの舞台装置的ながら、スタジオ撮影の実写映画的な動作や時間感覚を持つリアリズムを徹底していき、描線の勢いや絵の具の塗ったままの筆の質感などを出来る限り殺していき、「マンガ的だけどリアルな感覚」を追及していく。

 

 対してジョン・ハブリーは生々しい描線のままにしたり、バウハウスデザイン的な幾何学的な構成にしたり平面構成を追及する。なぜキャラクターが丸や四角といった幾何のフォルムをとるのかというのは、たとえば人物や生物を描くときに全体像や構造を取る際、まず身体を丸や四角で解釈していくとかパーツを箱のイメージでとらえていくみたいな形で構造を捉えていくというのとも無関係ではないだろう。

 

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 実際、カートゥーンのデフォルメは身体を幾何的なパーツで捉えることを極端にした形になっている。ディズニーなどフルアニメーションで動かすためのデザインは、当然作画枚数を使い生き生きと動くためのものであるので、生きた肉体を感じさせるように曲線や円の集まりといった構成によるデザインになる。

 

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 対してハブリーのリミテッド・アニメーションの場合、作画枚数が減る代わりに こうした幾何形体による構成に注力していた。つまり、あまり動かさない代わりにキャラクターを完全に幾何形体として捉え、画面全体のデザインの一部として構成するためだ。グラフィックデザイン的なキャラデザや画面構成はハンナ・バーベラの「パワーパフガールズ」あたりを先行していたと見ている。

 

 リミテッドから、アート・アニメーションへの飛躍

 それどころか、アニメに用いる素材自体ですらも次第に紙と水彩など簡素になっていく。

 アニメではセルアニメからや徹底した平面表現のデザインから、決して素材や筆致そのものの存在を感じさせないようにしていくものなのだが、ハブリーはそうした約束事さえも超えて画材や素材そのもの、筆致そのものがアニメートするように生々しく提示する。映画で翻訳するならディズニーが70ミリ大作実写映画ならば、ハブリーのそれはハンディカメラで俳優を即興演技で映し、現実と地続きな生々しさを撮るインディペンデント映画のようなそれといえるかもしれない。

 

 商業アニメトップのディズニーからスタートしたハブリーの経歴はまるでリアリズムからデフォルメ、商業から個人、コマーシャルからアートへの移行や代案そのもののようだ。リミテッドアニメーションという方向性に大きくかかわったほか、こうしてアートアニメーション作家とまでなっていった経歴など、アニメーションの表現史的に破格の存在となっている。

 

 

 

 

 

 

*1:それをベースに発達したり再デザインされなおしたりの要素はあるけどとりあえず別の話

*2:実際は要所要所でシーンのタイミングに合わせて2コマ打ち(一秒に12枚の動画)や3コマ打ちも(一秒に8枚の動画)使用されてる