17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

ノーゲーム・ノーライフのネット廃人特有の全能感による禍々しい世界観

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かつてライトノベルのファンタジーは、テーブルトークRPGの古典・ダンジョン&ドラゴンズのリプレイからキャラ人気が高まり、「ロードス島」に結実していきました。その後にファンタジー世界を描くライトノベルネタが川の流れのように生まれました。(とか書きながら、間違ってたらすんません)

 

 

そのうちにテーブルトークRPGではなくFFやドラクエなどのコンピューターRPGのブームが起き、ラノベ特有のファンタジーも形骸化の一途を辿るのですが、時を経て現在、初期の対人で交流してゲームに参加するファンタジー、というのはMMORPGがその役割を担っており、現代ならではのラノベでのファンタジーとは「ソードアートオンライン」などを代表にオンラインを介した形である種の先祖返りを果たしていると見えています。

 

「ノーゲーム・ノーライフ」もまた、そうしたMMO経由でファンタジー世界に入るというタイプのものです。ですが、その酩酊するかのような紫中心の虹色のヴィジュアルや、はっきりとニートやら引きこもりやらの上の兄妹が複数のアカウントを駆使して覇権取るとかの背景などなど、「ソードアートオンライン」の無邪気さと比べて、あからさまなまでにネット周りで廃人化している連中のどうしょうもない禍々しさを遺憾無く表現しています。

 

 製作はマッドハウスなのですが、何か監督や演出はこういう禍々しさをとくに注意している気がします。キャラを描く線にまで色彩配置を怠らないのは近年のマッドハウスならではですが、結果画面全体が毒々しく煌めくあたりにひとっかけらもMMORPGというアリバイを得てその実ラノベらしい温いファンタジーをやる気がなく、本気で悪意の側面を映像上にて表現しようとしているかのようです。

 

そのために中学生的な根拠のない全能感というそれというよりかは、現在オンライン周りの有名人特有のアフィリエイトで銭を稼ごうと炎上を起こすようなスキャンダルを引っ張る類から、MMORPGのやり過ぎで完全におかしくなっている類特有の、あの独特の全能感の感じ、あれが主人公たちに反映されています。ロボットネタとかは今本当にダメだけど、MMORPG経由の現代ラノベファンタジーを優れた演出のできる製作がやる場合にはある種、現在を突いている何かを捉えているかのようです。やはりネットってのは身近かつ最先端のネタですから。

 

とりあえず主人公たちが最後禍々しく死ぬ、なら名作。観た今作は今シーズン中は覚えておきましょう。そして培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

ノーゲーム・ノーライフ 1 (MF文庫J)

ノーゲーム・ノーライフ 1 (MF文庫J)