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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

キルラキル最終回のトリガーへの絶望、いやニンジャスレイヤーという希望?と、Wake,Up,Girls!最終回の順当な絶望ぶり

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 さあ2014年春のモードに入りましたね!最低最悪のレビューを今季も疾風怒濤で驀進させ反感を買ってやる!地獄に突き落としてやる!そんな意気込みでさあ行くぞ、とその前に冬のモードでなんだかんだで気になって観続けていた2本に関してのやや柔らかなレビューです。

 キルラキル

 

 今石監督&中島かずきによる演出と脚本構成から、声優の演技も澤野弘之によるアンダースコアもほとんど何もかもが優れたチームワークを見せており、他作品と比較してても非常にテンポが優れています。
 

 

 

 このテンポの良さのまま最終回まで完走しきり、人々は着たい服を着るということでよかったよかったという一方、ある種の絶望もふと感じてしまいました。

 

 というのも、グレンラガンから本作にかけての核をなしているのは各話サブタイトルから数多くのガジェットに至るまで60ー80年代リバイバルやオマージュであり、それは昭和のリミテッドアニメ的な演出を現代に再生させる試みから、出﨑統から永井豪などなどの過去の残像です。熱血アニメの割にどっかしら内向き(シナリオがとか流子や皐月が内向きってんじゃなく、クリエイティビティが)というか、それは中島かずき氏、そしてトリガー陣営の個人史を掘り下げてるようなところがあったと思っています。

 

 キルラキル面白かったなと思った一方でちょっとした絶望感ってのを覚えたのは実にこのあたりの肝心な部分ことで、今時はアニメに限らずどの界隈でも過去の手法やガジェットを使ってリバイバル的に・オマージュ的に作ることは当たり前なのですが、しかしリバイバルやオマージュだらけだろうと、何か新しいクリエイティビティにまで前進させることも可能なわけです。それこそタランティーノ。「イングロリアス・バスターズ」も「ジャンゴ」も過去の第二次大戦映画や西部劇映画の膨大な引用とオマージュをささげながら、同時に当時の映画ではありえなかった部分にも突込み、現代に通ずる所にまで引き上げているわけです。

 

 ですがキルラキルは過去リバイバル・オマージュ以上からその先のクリエイティビティを出すことは最後までなかったかに見え、そこがトリガーは今後どうなるんだろという軽い絶望に結びつくわけです。

 

  今石監督&中島かずき氏は少年少女の王道アニメ展開の中に、過去リバイバルを丁寧に組み込んでいく手腕がグレンラガンからキルラキルに至るまでのコアなポイントになっていますが、ではそうした過去リバイバルというエンジンから解き放たれたなら?過去リバイバルを綺麗にまとめる意外のその先のクリエイティビティは?などがこの後問われると見えます。すげえよく出来た作品キルラキルながら少なからず馴染みきれなかった、というのがあるとするならば、そのあたりの気がします。

 

 

 

 

 などとエントリを書き連ねている最中にこのニュース。なんとトリガーは「ニンジャスレイヤー」のアニメ化をやるんですね。凄い技術を持っているデベロッパーがいよいよこの時代のトレンド周辺の何かを取り扱って箸にも棒にも引っかからない作品を作るようなことを目の当たりにするのかもな…(今の京都アニメーションのように)とキルラキル最終回を見ながら思った後に、まさしく絶妙な一手のようにも思えます。

 

 原作の奇怪なサイバーパンク下の誤った日本像は「ブレードランナー」がわかもとのCMをビルに大写しにしていた時代より広まったもので、80年代のアメリカにてこうした歪さというのは散々ネタになっています。

 

  この前もトマス・ピンチョン(アメリカの現代小説家の主要な一人)の「ヴァインランド」を読んでいたら、80年代アメリカで60年代ヒッピー生活を送るコミュニティの舞台での謎の美少女暗殺者が殺人空手で飛び回る!なんてシーンが描かれていたりして、発行は90年代初頭なのですが、80年代にメディアが覆ったアメリカの中の日本エッセンスというのがこうした現代文学の界隈でも炸裂していたわけです。

 

 で、何が言いたいのかというとニンジャスレイヤーはそういう80年代ビザールを2010年代の今、Twitter連載という形で再生させマニア層にヒット、そしてTwitterにで”何が面白く、そして何がつまらないことなのかがまったく分からないバカ”が楽しそうにアイエエだのドーモだのつぶやき、害悪となっていった経緯を持っているのです。

 

 今度は過去のサイバーパンク下の奇怪な日本、という側面からの80年代リバイバルという経由先がこうして生まれたことで、トリガーはまだ面白いラインが続くと見ています。

 

 Wake,Up,Girls!

 

  アイドルネタの代表たる「アイマス」が全盛期のモーニング娘。で「ラブライブ」がAKB48で「アイカツ」がももいろクローバー、という感じで適当にとらえているおり、さらにその周辺の勢力にてアヴァンギャルドなベイビーメタルとかBisとかがいるのですが、このグループに該当するようなアニメはありません。

    

アヴァンギャルドを売りにした仕掛けのアイドル・BiS 中村健治湯浅政明などがこれに該当するアニメの制作が待たれる。

 

 さらにその周辺として地方のアイドルというのが膨大にいるのですが、ところがこちらにはなんと該当するものがありました。それが「Wake,Up,Girls!」です。…というのが自分のいささか皮肉めいた評価なのですが、これはこれで当初のコンセプト通りともいえるのでしょうか。ままならない脚本、立たないキャラクター、不安な動画、でもこれが地方テレビのあまりに緩い番組構成の中にいる、あまりに緩いアイドル像と考えればリアルというのも完遂したと思います。あの終わり方も地方テレビ感あると言えばある。

 

 …とか、こんな風に不発作の感想を書くにおいてここまでに”推敲としての感想”とか”皮肉としての感想”はすでにブログやフォーラムなどでありふれていると思うので、結局のところ現実とはなんだろうな、ということで締めとさせていただきます。

 

  アイドルの現実を、といいながらセクハラのような営業とか厳しく切り捨てる上層部だとかオタクの描写とか全部紋切り型の上に、その表現の大元にあるのは小汚さと屈辱です。大体アニメラノベ界隈のクリエイティビティにおける現実というのを書くときは屈辱(セックスや恋愛絡みでそれが倍加。)。屈辱を描くことを現実だとしてる。

 

 でも実際の現実をちらと見てみても、そんな小汚すぎるもんなのでしょうか?ベタなところ行くと本作オタクグループがなぜか(特に本筋に影響することもなく)頻繁に現れてましたが、メガネのデブとかそんなんだったりしますが実際のアイドルの会場というのは最近では女の子のお客様は少なくないと聞きますし、意外に客は入れ替わってるしよくわかんねえです。(本当は彼らがもっとえげつない行動をとる脚本でもあったのでしょうか)

  

 現実はそれはもちろん小汚く、そして常に屈辱が待ち構えています。それをいかに婉曲に、メタファーとしつつ、そして美しく面白く仕上げることができるのかによってクリエイティビティの高さを図ることが可能だと考えています。

 

 割と好きなエピソードで、しかもベタで申し訳ないですが、とあるアイドルだったかがミュージシャンと結婚するも、バンドが解散によってその後に夫のミュージシャンはほぼなにもせず家に入り浸り。生活費などなどが削れていくなどあったりまえのようにゴタゴタになる。だがしかしある時期にミュージシャンとして復活し、ライヴを行う。妻がそれを観たときには、そこには好きになった理由である姿であり、その一瞬だけ家庭や生活のゴタゴタもスッと忘れた、という話です。

 

 もちろん何一つとして問題は解決していないのですが、小汚く屈辱にまみれた現実を、わずかに確かな芸能を披露した瞬間に忘れることができる。そういうのを観たかったですね。ややブス揃いでしかもスキャンダルぞろいのアイドルグループで会社も終わりかけ、どうしょうもない野合と権謀の中での売り込みの中や、偏執的なファンのバッシングの対処でもうこりごりだ!もう終わりだと恨み、怒りと屈辱が募る松田マネージャーが奔走するも、結局負けるし会社も終わることが確定する。だがしかし、最後に実現したWUGのライブの完成によって、わずかにそれまでのゴタゴタを忘れることが出来る、みたいな。

 

 ベタでどうしようもないですが、現実は常に退屈かつ小汚く屈辱に満ちていますが、本当に時々覆るようなことが起きる。でも長く生きていくうえでその記憶が馬鹿にはならない。現実をそう捉えたのが見たかったですね。ということで観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、今季にお会いしましょう。