ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。具体的に言えば、一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎるからです(これは、山本さんも同じことを「妄想ノオト」の出張版で書いていますね)。だから、ほかのジャンルについても批評が書けるひとは、もはやアニメについて批評を書かなくなっている。(中略)そうやって、アニメについてしか書けないひと、語らないひとばかりが、アニメ批評を占有していくことになる。
したがって、もし今後、みなさんがアニメについておもしろい「批評」を読みたいと思うのなら、言いかえれば、多角的なジャンルについて批評が書ける才能をアニメについての批評にひきずりこんでいきたいと思うのならば、まずはこの状況を変えたほうがよい(中略)アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。
(東浩紀「渦状言論」2008年のweb.archiveより)
フラクタルコンビの 山本寛さんや東浩紀さんに関しては僕も国内商業アニメ批評としてもどうだかなあ…と思うことは多いです。ですが、彼らが長らく危惧してるこのジャンルにおける淀川長治さんだとか町山智浩さんだとかを求めてたりする意見だとか、なんでこんなに批評を書いても客層のうまくいかないのかなあ…という憤りに関しては近いことをよく思います。今代表的なところだと氷川竜介氏や藤津亮太氏が挙げられると思うんですが、良い仕事が多いこともわかるんですが、どうも抜けが悪い印象はあります。
でもこれってもしかしたら単純で、基本無料だからではないかなあと思います。基本無料という見方は主にビデオゲームですけども、TVやネットだって基本無料。消費者が買い切りで作品と対峙する前提ではない。「アニメ批評の読者が育たない」のも単純に基本無料コンテンツの消費者層の民度の限界という気がしています。
(2018年1月8日、「アニメ批評がもし必要だとして、その理由」追加しました)
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