17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

新ブログ「スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録」を立ち上げついでの、現在のアニメと現実がらみの余談

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日本映画のインディペンデント系を中心としたブログ「スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録」を立ち上げました。いい感じにガキのモードと兄弟的な感じになれればと思ってやっていきます。

 

SNSなどの評判を見るとアニメファンは日本映画との相性はけっこう悪い気がすると思っている一方、長らくTV放映でも劇場版を作家的な作品を見ていると、印象が逆転することは多いんですよね。すごく実写の日本映画的ではないかとおもうことは少なくはないです。2016年のヒットアニメ『君の名は。』や『この世界の片隅に』『聲の形』の作家たちのアニメみてると、少なくはなくそうしたエッセンスを感じます。そういうのもあって一回80年代以降の日本映画まとめてみたいな、ということで以下蛇足です。

 

聲の形』繋がりで京アニ話ということで、ここで書いたようにある種のインディペンデント出身の日本映画っぽさというのは、実際のところ思ったよりもTVアニメのフィールドでも影響あるのではないか、と常々感じております。ちょい内容を出しますと、山本寛はじめ山田尚子ら2006年以降の京アニ出身者の持つ演出スタイルは、現実のドキュメンタリーを映すような、いわばインディペンデントの日本映画によくある方法論に近いんですね。

 

さて、「スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録」は基本的には往年のスタジオシステムによって、職人的に作品が作られ、下積みを重ねて映画作りに関わり、やがて映画監督になるという時代が80年代ごろに実質崩壊してしまって以降、制作主導の企画が作品にとって厳しい内容になる中(よく言われる制作委員会方式など。)、では作家性を求める監督を志す人間は自主製作の方向に行く。撮影所スタジオも使った作品世界をみっちりと作りこんだ映画制作は大抵できないですから、路上でのロケハンを基礎にする。ということである種の現実の風景と曖昧になる瞬間がより過密だし、作品世界の構築が歪つにもなる。そういう魅力を描いたのが路上映画録、というふうにまとめていく予定です。

このスタジオシステムという意味で国内の商業アニメを見直しますと、ある意味で日本のアニメが劇場用の最大のドル箱になり、そしてTVアニメがユースカルチャーであるのも日本映画がいちど崩壊したスタジオシステムであるから。(しかも、小規模でも多数存在する)などと言えるかもしれません。逆に、商業アニメフォーマットでもアート・インディペンデント系の自主制作作家が海外で賞を受けたとしても、それが後で大きな規模の作家になるというケースは新海誠のようにまれですよね。

京アニ話が続いて恐縮ですけど、面白いのはスタジオシステムで現実世界と全く別な、ラノベやアニメ・ゲームの慣習をもった作品世界を作るのが当たり前なんですけど、作家的な何かを目指すと少なくなく、そこにインディペンデントの日本映画みたいなかんじを目指していくというのがちょっと面白くあるといいますか…

というわけで、アニメ的には「自主制作作家たつき監督が最近すごかった路上のアニメ監督と言えるのでは。」ということでひとつよろしくお願いします。

 

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