17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

男が男の髪を触るハードルが極端に低い恐怖

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スタミュ(第2期)

 

 恐怖である……好きな人へのスキンシップに髪を触る、頭をぽんぽんするということを「相手からを行為を引き出す」と思い込んで実行してしまっている人間はまだいるのだろうか……髪に触れるだけで静電気が走って好意の街頭がともったり、花火が発射するスイッチのように頭をぽんぽんすると好意が空に舞い上がってくれると信じている人間はまだいるのだろうか。他人との距離間が壊れていることは、おおよそ最悪な結果をもたらすのです。

 「スタミュ」は男が男の髪を触るハードルが極端に低い、他人との距離間が壊れている恐怖の連続です。距離間が壊れたコミュニケーション。目がうっすらと死んだオーラ。そしてなにより、主人公5人があつまったカットで❝キュピーン❞というSEとともに引いていくカットを前に、ぼくは「ここは時間までも壊れてしまったんだ」と呟きました。暗闇の中、デスクトップの光だけがともる部屋の中で。

 キュピーンという集合カットはぼくの意識を20年だか30年だか前に持っていきました。頭をぽんぽんするとか髪を触るとかのハードルの低い世界…それは少女マンガがさきなんだろうか。「さあゲームの始まりです」「キャハハと笑う三白眼の悪人」のルーツとともに、どこにあるのだろう……

 

 もしかしたら、主演の5人の中にヒロインとなる女の子がいる「うたプリ」みたいなやつだとまた違うんだろうか。男の子だけしかいない世界観や女の子だけしかいない世界観でしかみ作り手側に単純に力が足りてない(表情のアニメートが硬い)とき、他人との距離間が壊れた狂気の楽園が出来上がります。でも女の子がいるだけでなにか他人との距離間が調性されるというのはあるかもしれません。ぼくは、距離間が壊れたまま唐突に踊り出す男の子たちを見ながらこの惑星の未来を案じていました。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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