17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

アニメデザインのシーラカンスはエロゲー原作のものです「Rewrite」

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Rewrite 視聴10分

またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 主人公の内面の独白のようなナレーションと共に風景や情景が描写されるという手法は、観客に情緒の淡さと映像の美しさを同時に伝える手法として広まりました。たとえば実写映画ならばテレンス・マリック作品の「ツリー・オブ・ライフ」などがそうであるし、日本の商業アニメーションならば押井守の作品もそうしたシーンが含まれます。新海誠作品ではそうした描写は作品の主力となっています。

 

そんな手法をここまで汚くやった冒頭は凄い。このことをもって「やっぱり、エロゲーのデザインが商業アニメーションのなかで最下層では…」との思いを新たにしたのでした。

 

 何がどう汚いかって単純にモノローグを画面に表示するって次点でもうヤバいんですが、そのあと街の雑踏のなかで主人公が不安定な絵柄で登場!おい完全にお前だけ周りの人より浮いてるよ!

 

 こんな冒頭を見ながら思ったのはこうです。深夜アニメなんかを中核にしたオタク趣味が広まることによって、デザインに限ってはですが一番割りを食っているのはエロゲー界隈ではないかということです。

 

 ぶっちゃけ90年代とか2000年代初期とかのあのギラつき、デコレーションまみれのエロゲのキャラデザインがベタなオタク趣味の典型的な絵柄とされてたんだと思います。が、ちゃんとアート・デザインの能力のある人がここ十数年のなかで徐々に調整しなおしてきたことで今日の絵柄のトレンドに変わってきたことも確かなんですが、エロゲーだけあまりそういうことが起きずにシーラカンスみたいになってる気がします。

 

 冒頭の「雑踏の中に主人公」にもどりますけど、ちょっと現代が舞台のアニメを思い出してください。意外にも周りの日常のモブに主人公たちを紛れさせてもそれほど違和感はなかったりするデザインになってることは多いですし、かといって埋没するようなものでもないですよね。*1

 

 

 このことがもっともわかりやすいのがやっぱりラブライブの初期から現在のデザインに至るまでの変遷ではないでしょうか?上に張った書き散らしを見なおしていただければ話は早いのですが、ラブライブは元々オタク絵の典型の総本山で、読者参加企画から有名タイトルとなったあのトンデモ「シスタープリンセス」をプロデュースしていた電撃G'sマガジンの企画物でした。

 

 最初こそ典型的な絵柄だったものが、だんだん周辺のヒット作の影響によって調整されなおし、意外にも特定の客層以外にもアプローチできるデザインにしていたのだと思います。

 

 結局のところ「Rewrite」は現在のトレンドに適応できず苦しむシーラカンスのようなアニメになっています。原作Keyの全盛期作品である、Airではキャラクターデザイナーのあの禍々しいまでのデコラティブなデザインは何の疑問もなく取り入れられていました。

 ところが時は過ぎ現代、今作ではパステル調と丸さと柔らかさのある絵柄のトレンドの中で、そこに合わせたせいなのか鋭角な画風は腰砕けになり、作画とアニメートも不安定。そして明暗の差が極端な原作のカラーリングも無理やりパステル調に変えられています。去勢された種馬というのがいたとしたら、おそらくはこんな感じでしょう。

 

 かといって現行のトレンドを作るまでに至ったスタジオがエロゲー的な、典型的なオタク客層的な絵柄を捨てきったのか?というとそうじゃあないよな…と京アニがかなりのところ典型的な絵柄をデザインしなおしていたのにかかわらず、「ユーフォニアム」と「ファントムワールド」でわざと何歩が戻ったりしていたわけですから。海から進化したあとも

 

 樋上いたるの絵のキツさがカバネリのようにリバイバルもしくは再解釈されるにはあと10年は時間がかかりそうです。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

*1:余談ですがシンデレラガールズはいろんなタイプのアイドルの女の子が出てくることを「もともとは一般人でモブに過ぎなかった」というところで最初は主人公たちを日常風景のモブになじませてた、っていうのは相当よかったとおもいます