17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

μ's東京ドーム後の曇天のような現実を反映するデザイン「ラブライブサンシャイン」

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ラブライブサンシャイン 視聴フル

またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

いったいどういうことでしょうか?サンシャインなんてタイトルに反して曇天のようにグレートーンが目立つ色調。もともと初代のアニメも画面に白いトーンを最後重ねてまとめていたんですが、今回は制服のカラーとも相まって鬱屈した画面になっています。

 

 この曇天のようなデザインで初代の鮮やかな色調が印象深かった都内のスクールアイドルに憧れている地方の女の子を主人公に…っていうのはまあなんといいますかな構図です。では鬱屈してるのかなあと言うとそうではありません。なんといいますか、イってます。

 

 冒頭からほぼ伏線もなくいきなり主人公がスクールアイドル活動を始めるシークエンスは気がくるっております。びっくりするくらいキャラクターお披露目以上のことの意味の無い脚本の展開は凄まじい。マジで主人公を始めどのキャラもアイデンティティがわからない。うすっぺらなキャラの部分しか見えない。…しかしこんなこといっても何の意味もないことも、大ハズレであることもわかっております。

 

 前から思っているようにラブライブ!ではアニメ本編は結局巨大なコンテンツの一部でしかなくて、その一部を差してキャラクター構築の脚本がどうのこうのというのもあんま意味ない気がします。日本の商業アニメーションで作品単体の質で売り上げることは今一つになっていて、キャラクターの魅力をベースにメディアミックスを狡猾に行い、客とのレスポンスでコンテンツを拡大していく形なんでアニメ単体の物語がどうこうはほんと意味ないですね。作品単体の質を求めようとするスタジオは劇場版のほうにいっちゃってるんです。

 

 そんなラブライブなんですが、そこにわずかに物語なるものを見出そうとするなら、それこそ「まじで作中のアイドルグループを声優本人たちが演じている」ことに代表されるような現実との虚実皮膜な点があると思います。初代からして集められた声優のメンツが当時キャリアが混迷してたひとたちだったところなのに、まじでラブライブ本編のシナリオばりに紅白の出場まで達成してたわけですからね。

 

 ところが東京ドームでのファイナルライブで地位が確定したかと思われた瞬間、主演声優に大スキャンダル。虚実皮膜が引き裂かれ、げんなりするゴシップの現実がふりかかりました。

 

 いささか曇天のようなビジュアルは、華やかな展開に向けての溜めなのかもしれません。しかし初代の中心の声優が大スキャンダルに見舞われ、虚実皮膜な物語的には「混迷してたひとが作中のスクールアイドルのシナリオみたいに本当に大成功を収め地位を築いた。かと思われた瞬間にまさか…」という、初代から2代目に引き継ぐ合間の出来事が繋がっているかのようにも見えるし、または過去の成功体験を引き継いだ2代目というのが初代の成功体験を追いかけるあまり、別の可能性を追いきれないかもしれない曇天の感じもあります。

 

 なにより、後がない出演者たちが手探りのところからここまでの拡大を実現した初代以上にヒロイックなアニメとライブの虚実皮膜の成功の部分を引き継ぐことは難しいですよ。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。