未来のワタシ。 視聴フル
またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。
この書き散らしで注目し続けているスタジオは京アニ・シャフト・トリガー、それからWIT STUDIOです。これらのスタジオは、今ではけっこう当たり前の地位を気付いているように見えながらも、やっぱり極めて狭い客層と闘ってる日本のアニメーションにて商業的な成功を狙うのと同時に、現行のデザインを簡単に客層に使い潰されないようしています。まあ客層の想定している2手3手先を行ったデザインを行い続けているスタジオということですね。
そこにひとつ加えるとするならば、スタジオコロリドです。宮崎駿の引退により、ついにスタジオジブリが長編の制作をストップしたのと同時に「じゃあ後継者は誰だ」というしょうもない議論が出てきたのですが、少なくともスタジオコロリドは技術的に最もジブリを継承しながら、現在の形の新しい何かを生み出していると思います。
ジブリが到達できなかったデザインをやってるスタジオ
短編アニメーションにて「フミコの告白」「陽なたのアオシグレ」と天才とすら感嘆してしまう作家・石原裕康やスタジオジブリ出身の新井陽次郎ら若手に加え、「AKIRA」「パルムの樹」のなかむらたかしのように80年代から評判になったアニメーターなどがスタジオコロリドに関わって来ているのを見ると、新興スタジオながらバックグラウンドは日本の中でもかなり伝統的で、ほぼ正道に近いんじゃないでしょうか。商業のメインの場が深夜アニメ制作ではなく、企業CMというのも大きい気がします。
スタジオコロリドの作品群はパッと見はジブリのフォロワーという印象が強いのですが、実際のところは遂にジブリが到達できなかった完全なデジタル製作時代のデザインを手にしてるところが強いと思っております。
やっぱジブリのデジタル使いはアナログでのセルの代替という域を最後まで超えなかったと思うし、また逆に後期の高畑監督作品のようなデジタル製作ならではの原画の鉛筆の線をそのまま生かし、水彩のような色使いという手描きの実感を表現するというのも、やはり異端の方法でありオーソドックスなフォームの方向にまでは行けませんでした。
無尽蔵の明るさと不気味さが共存したコロリドの短編
コロリドが凄いところはデジタルでなければできないパステルで精微な配色と、背景美術からキャラクターの線まで手描きのような実感を持たせると言う、デジタル製作時代のジブリが推し進められなかったデザインに唯一辿り付かせたスタジオだということだと思ってます。
石原裕康や新井陽次郎らが完成させただろうコロリドスタイルのそれは、結果的にジブリでは見られなかった「無理やりでも明るく振る舞うことでなにか逆に哀しい感じ」をぼくなんかは感じてしまいます。なんかアメリカ・カリフォルニアのロックバンドのビーチボーイズはサーフィンや女の子の歌を明るく歌ってるけど、実はあれはもの凄く暗く哀しい、不気味な音楽なんだ…って話を思い出すんですよ。
そしてマクドアニメの明るく哀しいところとは
「未来のワタシ。」はここのところで完成したと思われる、水彩的だけどデジタルの配色でないと実現できない色調&手描きの実感の残る美術などなどで描かれるマクドのバイト模様は(あたりまえだけど)びっくりするくらい闇が無いように見えます。
しかし、パート・アルバイト募集でタイトルが「未来のワタシ。」というのもなんだかヤバい意味で捉えてしまいますし、公式サイトの各登場人物のパートのおばさんとか大道芸人やってるフリーターとかところどころ現実の暗く哀しいところが見え隠れしてるのを、そんなこと一切ないようなデザインで描かれ、サブエピソードなどもあるのです。
本作はコロリドのエースの石原&新井監督作品ではないんですが、無尽蔵の明るさを感じさせるデザインと、しかし同時に現実の暗さや哀しさが裏側に張り付いているのを感じさせる点で、まさにスタジオコロリド仕事と感じさせます。
皮肉みたいな文章になっちゃったけど、ジブリでは喜怒哀楽は表現するけどコロリドは喜と楽しかないように無理に振る舞ってる、ように見えるというのが新しくて、そして危うい感じなんですよ。CMとはいえ、怒も哀も表現に含めるってのは少なくないだけに。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。
過去のコロリド作品書き散らし
teenssexandwarmode.hatenablog.com
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