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葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

静止画で生きるキャラデザと動画で生きるキャラデザは違う「ディバインゲート」感想

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ディバインゲート 視聴7分 

 

 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 「ビデオゲームのアニメ化」ってのは例えば18禁やギャルゲーなどがけっこう目立つと思うんですが、これ基本静止画のキャラクターのバストショットだから、動画するために最初からデザインされたわけではないのでもの凄く凝ったデザインになっています。で、それを動画にするため、なんとなく固めな印象は毎度毎度ありますね。

 

 

 

 ガンホーのネイティブアプリゲームのひとつ「ディバインゲート」はまるでノワールのような影を極端にコントラストにしたイラストが特徴です。スマートフォン上でのあのデザインとも相まって、中二病的なイタさぎりぎりのラインをアプリらしいデザインのキレで回避してたと思うんですが、やっぱそれをアニメにまで持っていくのは難しい感じですね。キャラデザも動画もいいんですが、背景美術がズレます。

 

 しかし思うんですが、やっぱ静止画のイラストレーションとして見るキャラクターデザインの美と、動画にすることで生きるキャラクターデザインの美ってごっちゃにされがちだけどもやっぱ別ですよ。「ペルソナ」のアニメ版はなんとかギリギリだったと見まずが、「ディバインゲート」は元のスマホアプリの画面がベストです。

 

  最初から動画させることを目的にある場合って、実はデザインはシンプルにするんです。綺麗に動くことで成立する絵ですから。どうあれ細田守作品が影無しの単色で作られていることや、トリガーのリトルウィッチアカデミア」なんかはそういうことじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 数限りないメディアミックスの果てに「最初から静止画で成立していたもの」と「最初から動画によって成立するもの」の境目は曖昧になってるままな感じします。

 

 適当な仮説ですが、「最初から劇場用アニメとして企画されたものは、動画で魅せることを目的にするためパッと見はシンプルになりやすい」か、「最初からTV放映で企画された作品は静止画で映える情報量が多くリッチなものになりやすい」とか考えました。まあ、はずれっぽいですね。

 

 また京アニを例に出しちゃうんですが、このへんの静止画イラストのデザインと動画にしたときに映えるデザインの双方を取ろうとがんばっている感じありますね。けいおん!とか「たまこ」あたりはもう動画で見せることを優先したデザインにしてたけど、最近はアニメ雑誌の版権イラストでも映えるような静止画のリッチさよりです。これ、「じゃあ止め絵でも動画でもいいってことじゃないか」みたいに捉えられるかもしれませんが、要はエロゲー(の静止画)の絵っぽくなっていってるって話です。

 

 おっと、話ズレまくりですね。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。