日本アニメ(ーター)見本市
旅のロボから 視聴とびとび
日本アニメ(ーター)見本市はざっと眺めると日本商業アニメ技術の最先端と旧型が混在していて、これから来るであろう作品と、もはやダメになってしまったのではないかと思われる作品が混ざり合っています。今回はもはやダメ、の側です。
80年代から続く作画の良さを堪能するみたいな流れって、いまどうなってるんでしょうか?
日本アニメに関して書き散らす文法にスターアニメーターの仕事を取り上げ、その技術を観るみたいな日本商業アニメーションのレビューの文法はおそらく金田伊功をメディアが取り上げていたような時代に関係していると思います。
さてプロダクションIGにて「人狼」など押井守原作を高度にアニメ化した沖浦監督作品なのですが、本作を作った動機が全く把握できないのがやばいです。前回にうつのみや理さんの「三人の証言者」をぼろくそに書いておいてなんですが、あちらはまだ何を作りたいのかの目的が見えていたと思います。
「旅の車窓から」のパロディをまったくやりたいとも思えないし、ロボットのデザインも特に偏愛的なものもない。女の子のデザインも「デッサンがとれた絵で描いてあるし、最近の媚び売ったようなデザインとは違うんだぜ」風味なのに、やってることはトホホ巨乳描写。
これを肯定的に見るのに「作画のすばらしいアニメーターの女の子の巨乳描写から車の描写、メカの描写がすばらしい」とかどうとかの視点になるんでしょうが、このコンセプト力の低さ、企画力の弱さの前に「アニメーターのほとんどはトップどころだろうとエンジニアとかそういう立ち位置に近いんだなあ…」と思ってしまいます。ぼくは「最初は実写の映画監督を目指していたが、巡り巡ってアニメのほうに行った」タイプの監督をあまり評価していないのですが、この企画力の弱さや、たとえそれが弱くとも作家の中にある絶対的なモチーフ(例えば宮崎駿なら美少女、戦車、飛行機とか)を描く弱さも気になります。私気になります。
そして最も心が重くなるのは、自分の監督した作品のヒロインを務めた声優と結婚していながらこんなトホホレベルのセクシュアリティしかない事実です。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。
- 作者: マルセルデュシャン,ピエールカバンヌ,Marcel Duchamp,Pierre Cabanne,岩佐鉄男,小林康夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/05
- メディア: 文庫
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id:sakuga_wo_kataru_threadさん
”晒されてますよ”って、そちらのプロフィールも見た上で書きますが「自作自演なのかな」なんて思ってしまいましたよ