17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

この世で笑いについて書かれたものほど無残なものは無い

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不思議なソメラちゃん 視聴フル



 これまでいろいろなジャンルやらネタやらについて書き散らしてきたのですが、ただ一つ、このネタについてだけは書いたりすることは避けたいものがあります。それは書き散らしてしても面白さを補完してくれたり、面白さを解説してくれるものではなく、書けば書くほどにみるみるうちに面白くなくなると確信しているからです。

 

 それは笑いについて書くことです。こればっかりはまじめに語れば語るほどその書き散らしがおもしろいものになるわけがなく、逆に悲惨で失笑しか買わないことは必至だからです。

 

ぼくがおもうにこの地球上に存在しているありとあらゆる批評のなかで、お笑いライターだとかお笑いブロガーだとかが笑いについて書いたものほど世界のあらゆる悲惨を背負い込んだ文章はないと思っています。toroneiのブログとかそうですよね。

 M-1とかTHE MANZAIとか誰が優勝するか…とか無駄に考えてるブログの絶命的なつまらなさや、お笑いライターとかいうラリー遠田の書籍のタイトルを見ただけで認識できるげんなりさなど、あの手の書き散らしが持つ虚しさ、どうしようもなさを観ると、「つまらないとはどういうことか」の全てがそこにある気すらします

 

 逆に笑いがよいのはそもそもの話、あらゆる批評なり書き散らし自体が虚無であり誰の足しにもなりはしないということ教えてくれることかもしれません。ほら、ちょっと笑いについて触れた一文のもったいぶった考察まがい、これだけでみるみるうちに書き散らしが面白くなくなっていくのを感じたでしょ?だから書いたらあかんのですよ。深刻で難解な映画について解き明かすような批評はいいけど、笑いについて書いたものが笑いを増やすなんてことまずないですからね。

 

 さてソメラちゃんですが、だめなときのホリケンを見てるときの面白さとだいたい同じです。(了)

  

人生なんて無意味だ

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