17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

終物語 シャフトのホームグラウンドは未だ他の追随を許さない

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終物語 視聴フルかもしれないしそうじゃないかもしれない

 

 また一つ現れました。瞬間的にNしすぐさまにWれさられ、次なるS間に繋げるためのIです。

 

 シャフトスタイルのホームグラウンドとすら言える「物語」シリーズがスタートしてすでに7年。未だ追随するアートスタイルの作品は無いし、当のシャフトもこれ以上にハマった原作は獲得出来てないと思います。

 

 やっぱ素晴らしいのはひとかけらとしてシナリオに意味がないことで、また凝ったカットの数々に何の意味も無いことです。一冊も読んでいないですが西尾維新の原作からして多分言葉遊び多用して意味を持たせないスタイルのような気がします。「学級会で多数決でどうたら・その犯人がどうたら」ってことはもうどうでもよいし、さらには主人公と新ヒロインの掛け合いがその全てのようにさえ見えますがそれすらもどうでもいいです。

 

  しかし今だから見直すと商業アニメのなかでここまで長期にわたり成功し、アート・デザインに特化してこの距離感を保っているのはすごいことですよ。ここに至る前史に、リミテッドアニメで美的に見せるエヴァ押井守幾原邦彦作品が行った手法が培われてるとは思いますが。

 

 

 

 作画枚数を絞り、少人数の前衛演劇のようなムード、市川崑などに影響を受けたと言う真上からのカットやシンメトリーを意識したレイアウト。あらゆる方法が物語や感情移入を遠ざけるようにできています。今更ながら「終物語」の1話を最後まで見て、シナリオそのものを「ほうほうあららぎくんの中学時代の苦しい青春の思い出だね」「ほうほう怪異がもたらすミステリなのだね」と解釈したひとは多くはないのではないでしょうか。あらすじの全てが通り過ぎます。

 

 アート・デザインに特化した映像スタイルはほとんどの場合、シナリオや登場人物の感情移入から遠ざかります。ひとはそんなもんに耐えられるわけではないのですが、キャラへの感情移入もシナリオの理解が薄くとも成立する方法があります。ギャグです。「化物語」なんて商業アニメの成立が崩壊するギリギリのとこをあららぎくん&ヒロインの漫才という「ああおしゃれな萌えとギャグまざりなタイプだな」で持たせてるとおもいます。たぶん「おそ松さん」は初期の物語シリーズみたいな構造になってんじゃないでしょうか。

 

 シャフトのスタイルの座りの悪さはそういう感情移入を殺すスタイルゆえです。たとえばニセコイだとかメカクシとか、原作のシナリオとキャラクターに感情移入してる作りのアニメ化の場合、こういうスタイルでやられたらキツいですよ。そういう意味も込みでやはり感情移入とか正道のスタイルでない西尾維新という原作を得たことは大きいのだなあと感じ入ります。

 

 シャフトこそノイタミナとかでたとえばメインストリームでない原作を取り扱ったものをやったらなと思うんですが…とはいえデザインのキレは徐々に落ちてきているような気もしなくはないです。しつこく挿入されるアバンタイトルのデザイン、もう少し情報量絞ってた「化物語」時代のほうがキレがよかった記憶があります。

 ともあれ日本アニメ表現とかシナリオから距離を置いたアート・デザイン手法のちょっと前のひとつの成功例の一つではないでしょうか。今は作画量もデザイン方法も変わったうえでもっと複雑になっております。MたAニメはWれましょう。Dも培ったG術とモードはそのままに、次回におAいしましょう。

 

 

終物語 (下) (講談社BOX)

終物語 (下) (講談社BOX)

 
終物語 (上) (講談社BOX)

終物語 (上) (講談社BOX)

 

 

 

続・終物語 (講談社BOX)

続・終物語 (講談社BOX)