クラシックアニメーション書き散らし第2回
エミール・レイノーによって実はアニメは映画の発明とは別のところで、映画よりも早くアニメを興行にしてみせていた。だけど、発明当時のアニメ上映機器は取扱いが難しかったり壊れやすいという問題があって普及せず、後のリュミエール兄弟の映画上映機器シネマトグラフが歴史的に映像の覇権を取る形になった。
アニメーションはシネマトグラフを元にフィルムでのコマをベースにその発明が続くことになる。そこでは純粋に一コマずつ動画を描いていくほか、フィルムという構造の実験に至るまで数多くの作家が現れた。その中でもディズニー以前より特筆すべき漫画家であり、同時にアニメーションを制作した人間がいる。それがウィンザー・マッケイだ。
映像のメディアはありとあらゆる機器が開発されていったが、その利便性やリュミエール兄弟によるシネマトグラフによるフィルム上映というフォーマットが確立される。アニメーションはフィルムの一コマ一コマの連続や編集という作業から、新たに創造されなおしていく。
20世紀初頭のそれはオーソドックスな線画のアニメーションから、奇術師などがフィルム編集を利用してマジックのような映像を生み出したり、またフィルムそのものに彩色を行ったり傷をつけたりした状態で上映することによる抽象的な映像実験まで様々だった。
エミール・レイノーに続くフランスアニメ界で大きな意義を為した第二のエミールとされる、風刺画家エミール・コールは線画をコマ撮りしていくことでパラパラ漫画的な元型的なアニメの面白さを表現する。奇術師ジョルジュ・メリエスはフィルムの編集や効果を利用してマジックのような映像を作る。そしてフィルムでの連続性そのものに着目した抽象アニメーションの可能性をハンス・リヒターやオスカー・フィッシンガーなどなど、映像作家や抽象画家などが追いかける。
シネマ時代に突入してアニメーションを発展させるのは、大道芸人であり、同時に芸術家でもある人間だった。そしてアメリカでアニメーションを発展させたウィンザー・マッケイこそは漫画家であり、芸人であることからアニメ制作にまで発展していった、まさにそうしたアニメーション作家だったのだ。
芸人ウィンザー・マッケイ
1900年作 J・スチュワート・ブラックトンによるパフォーマンス「魔法の絵」
20世紀初頭、そもそもの映像ってものがまだまだ初期の段階であったがため、アニメーションの初期は「実写で誰かが絵を描く映像で始まり、その後になんとその絵が動き出す不思議!」という導入の作品が多かった。フィルム編集による別カットの繋ぎによって、手品のような種も仕掛けも無い現実を披露するかのようなスタイルによって当時のアニメーションというのは取り扱われていた。
ちょい時系列はずれちゃうけど、マッケイのパフォーマンスはこんな感じ
マッケイのキャリアはシンシナティのダイム・ミュージアムで広告やポスターを制作していくことからスタートした。こうしたコマーシャルの絵描きの中で人前で下書きも無しに一気に絵を描いてしまうパフォーマンスなども行ったという。こうした経験は、後にマッケイをさらに飛躍させることになる。
漫画家ウィンザー・マッケイ
代表作「夢のリトルニモ」高いレベルのデザインのバランス・アイデア・構成力による漫画
やがてマッケイは培われた技術を生かし、新聞にて漫画を連載しはじめる。その内容は高い画力と、映像的な構成や前職でのポスターや広告制作などで培われただろうデザイン的な構成とあいまることにより夢や無意識といったイリュージョンを取り扱う。
すでに360度どの角度から描いてもキャラクターの崩れない、極めて立体的な画風を手に入れており、それはフランスのメビウスから日本の大友克洋や鳥山明のスタイルを先行した完成度を見せている。
漫画連載で代表作となったのは1905年から1913年に連載された「夢のリトルニモ」だ。少年ニモが観る夢の世界のイリュージョンを様々なバリエーションで描き、最後にはベッドから落ちて目を覚ます。この作品と、基本的な構造はその後のアニメ製作に大きく発揮される。
そしてアニメーション作家ウィンザー・マッケイ
こんな風にマッケイは本格的なアニメ制作にかかわる前に、広告や挿絵描き、チョーク・トークという芸人、そして洒脱で高いデザインの漫画家という経歴と経て、そこまでに培われた技術を生かしアニメーション制作へと進む。
直接のきっかけは子供が買っていたフリック・ブック(パラパラ漫画)だったという。これに触発され、フィルムに移し替えたなら?ということでアニメ作りがスタートする。
ここまでにマッケイはアニメーターに必須の技術を経歴の中で習得していた。「早く正確に描く」を広告描きやパフォーマンスで培い「どんな角度でも崩れないパースとデッサン」を新聞の漫画連載で完成させていた。その高い能力が発揮されたのが、最初に特筆すべきは今日でも短編アニメーションの歴史上トップに位置する「恐竜のガーディ」だ。
やがて純粋な紙アニメのアニメートから、映画というものが現実というものを記録する特性にも着目する。そう、アニメで現実にあった事件をドキュメントし、しかも実写と同じ時間間隔である1秒24コマフルアニメーションでその特性を表現するという試みを見せる。
「沈みゆくルシタニア号」はそうした作品だ。これは第一次世界大戦中に客船ルシタニア号がドイツの潜水艦に爆撃を受け、1000人を超える死者を出し沈没した事件
をアニメーションにて描き出そうとしたのだ。
マッケイはこうしてカートゥーンのアニメートの面白さの他に、実写映画の時間感覚さえも持ったリアリズムの強度の高い方向性も追求していく。その後に製作された「チーズ・トーストの悪夢」シリーズはこれが20世紀初頭の作品であるとはにわかに思いにくいレイアウトや空間表現をもったアニメとなっている。
写真を背景においてその上にセル動画ってのもちらほら
人間や動物の動作のフォロースルー・予備動作のアニメートこそ甘いが、2Dアナログで最大限に表現される立体的な空間表現やレイアウトはまるで1980年代の宮崎駿や大友克洋のアニメのような感動に近い。
マッケイの経歴はディズニー以前に宮崎駿や大友克洋などが実現してきたそれを20世紀初頭にやってしまったかのようだ。だがやがてアメリカでアニメが商業や産業となっていくなかで、マッケイのレイアウトとは別の、舞台演劇的で横移動を主にした平面的な構成が主になっていく。マッケイは歴史的にアメリカでアニメを切り開いたパイオニアでありながら、そのクリエイティビティは例外的であるという。
やがてウィンザー・マッケイの伝説は、アメリカのアニメーション史のみならず、なんとの日本のアニメーションの発展にも関係してくる。そこには宮崎駿らも関わる、凄まじい歴史が展開されるのだ。それはまた次回に続く。
参考エントリー(結局この辺のまとめ記事なんで詳しくはこちらをおすすめ
現在実験漫画・または再評価されるべき漫画家を取り上げたWEB漫画雑誌「電脳マヴォ」を
運営している竹熊健太郎氏のアニメーション研究記事。
マッケイ記事はまあ実はこれ見りゃいいんだけど、
この後にも大学講義でのレジュメを元にしたかなりタイトなアニメーションの歴史のアナライズが多くある。
Winsor McCay From Wikipedia, the free encyclopedia
しかしこの分野だと日本Wikiと英語Wikiだと情報量や編集のリテラシーのレベルで
が出ちゃいますね
前回「エミール・レイノー」編に引き続き参照しまくったサイト。
アニメーション創生の歴史をあらゆるレベルで網羅。
リトル・ニモ 1905-1914 (ShoPro books)
- 作者: ウィンザー・マッケイ,小野耕世
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