FLAG 制作:アンサースタジオ 監督:高橋良輔 一話フル バンダイチャンネルにて
すでに手持ちカメラ越しのような画面が、現場の生々しい感覚を表現する方法の一つとされてます。実写でもアニメでもいつ始まったのかはわかりませんが、少なくともアニメの方面では、中高生の青春の光と影の生の風景、スマホカメラでvamioやinstagramを活用しているような画面風味としておおいに利用されていると思います。
2006年にWEBアニメという形で公開されたFLAGは ロボットネタでこの手法や視点を主にしています。ジャーナリストの手持ちカメラ越しで戦場の只中に立会い、紛争地でのロボット兵器の戦いをみつめるということを基調としています。
その手法はガキの青春を描くのみに当然とどまりません。最近のホラーやモキュメンタリーなどなど、ハリウッドの精工なCGとカメラワークによるクリーチャーよりも、素人が偶然捉えてしまった映像による怖さ、リアリティ。それをロボットネタで表現しようとしたのが本作の印象です。
それにしてもこの手持ちカメラ感はいつ始まり、アニメにまでこういう演出入るようになったんでしょうか?
FLAG・ジャーナリストの主人公の追った紛争地の現実を映す手法
この物語は主人公のカメラマン・白須冴子がアジアの架空の小国での内戦をカメラで写し、先輩である赤城圭一が白須の記録を見て回想するという形で進行します。内戦地で展開される現実、導入される兵器など映していきます。
「パトレイバー2」時のプロダクションIGのようなアドバンスドな画面構成、キャラデザインであり、おそらくはWEBアニメという規模ゆえの低製作費によって絞られる動画枚数の問題を「白須の撮った写真、映像を並べ、それを観た赤城がナレーションする」というミニマルな映像展開を行っています。それゆえ、動画を眺める単純な気持ちよさは正直言ってほぼありません。
だがしかし、そうした問題を覆すほどにデカいのは、白須冴子が映した二足歩行戦車が進行する内戦の現実を映す手持ちカメラの現場の空気そのものです。これは怪獣映画における「クローバーフィールド」のアプローチのロボットアニメ版といいますか、ここに現場の臨場感や生々しさを表現する視点が確立されていると見ます。ドキュメンタリタッチって視点そのものの現場感がすごくて肝心の怪獣、ロボデザインが最悪にダサいってところまで共通しています。
さらにこれは発表時の2006年ごろの映像表現トレンドから振り返ると、これはいくつか同じように映像の現場感の表現の一つに入ると見えます。
2006年当時は他にも「手持ちカメラの生々しさ」演出のアニメネタが頻発していた
当時に発表された日本のアニメを雑に振り返っても、この「手持ちカメラで映像がぶれている現場の臨場感」を導入した作品は適当に思い出してもいくつか思い当たります。
まずあれ、「涼宮ハルヒ」。あれ作中で登場人物が8ミリ映画を撮るっつってほんとに手持ちカメラみたいなことをやるって演出の回が思い浮かびますが、本編も要所要所で同一ポジションによるジャンプカットや、薄く揺れる画面から感じられる手持ちカメラの現場感の表現が観られます。
これは2014年の現在に至るまで京アニで洗練されてると思われ、2012年の「氷菓」に至っては手持ちカメラやスマホカメラで頻発するレンズの焦点がぶれることによるピンぼけというのすら登場人物の心情表現に繋げていたのが印象深いです。点滅するようにピンボケを繰り返す映像が折木奉太郎の憤りを表現するなどしていました。
同2006年には松本大洋原作・STUDEO4℃・マイケルアリアス監督の「鉄コン筋クリート」が手持ちカメラ的な臨場感をもってクロとシロの宝町での活劇を描写しました。この手法を取ったのは現代ブラジル映画の代表格である「シティ・オブ・ゴッド」の影響を受けたとされています。
日本アニメのリアリティーレベルの変貌、実写映画トレンドとの関係
現在夏のシーズンでも「残響のテロル」が遺憾なく”手持ちカメラ的ブレと臨場感”を基調としていますし、旧来アナログ制作では難しかっただっただろうものが、デジタル製作の方法論が発展したここ10年の間に頻発しています。
厳密に誰が最初に始めたのか?はもうここは誰かにパスするとして、これは日本アニメ特有のリアリティコントロールの変化と感じます。日本のアニメはその映像表現の進歩の目標に実写映画の手法を数多く導入してきました。この辺がディズニーを代表とするアメリカの商業2Dアニメーション(3Dはとりあえず別)との違いの一つとも思います。
振り返れば、キューブリック、リドリー・スコット、スピルバーグやルーカスのような70ミリの大作に匹敵するような映像作り。これを実現するために80・90年代の大友克洋や押井守&プロダクションIGなどなどなどが様々な技術を導入しながら追いかけていき、日本のアニメのリアリティー水準に影響与えていたと思われます。
やがて90年代以降の実写映画でも、50ー60年代のフランスのヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマのような作家主義的な意味と別にハンディカメラを多用した現場感を持たせた作品が頻発します。モキュメンタリー(フィクションをさもドキュメンタリーのように撮るジャンル)で伝説の魔女の取材中に怪現象が起きた、ということをネタにした「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や、カンヌ映画祭でパルムドールを獲得した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などはほぼ手持ちカメラで盲目の母を演じるビョークを映します。
2000ー10年代になっても手持ちカメラのモキュメンタリー作品から、トニースコット監督のバリバリのアクション映画に至っても”手持ちカメラの手振れの臨場感”表現が頻発していきます。
こうした”手振れ映像の現場感”にはカメラを使うのがプロやアマだけではなく、一般の家庭用で使えるハンディカムの浸透も大きいでしょう。ソニーは1985年にハンディカムを発売し時代の中でコンパクトに洗練させてバージョンアップさせていきました。
やがて携帯電話の発展と浸透とともに1999年・2000年にはカメラが搭載されたモデルが市場に出回り、機器の発展とともに写真だけでなく動画も撮影可能になり、ほぼ一人が一つのカメラを持つところにまで広まったのです。
もともとが実写映画を指向して日本アニメのリアリティーレベルは影響あったと思われますが、実写映画の界隈も手持ちカメラの臨場感を使うことが増える中、日本アニメもデジタル製作以降に手持ちカメラのようなブレの表現や編集などの流れがありました。
その他に一般の家庭でもハンディカムが浸透し、やがて携帯にカメラが付きマカンコウサッポウだのvineでネタ映像を作るのが活発になるなどの他、USTやtwicassなどで現場の実況などなど一般でも映像編集配信が莫大になることにより、”手持ちカメラの画面のブレ”がリアルで生の映像であるという感覚は育まれていったのではないか、と想像します。
vineで多用されるスマホ手持ちカメラ・ジャンプカットのネタ映像の例
実写映画を目指す日本アニメの映像のリアリティーレベルの変貌は結局”一般家庭や学生の持ってるハンディカムやスマホカメラによる現場感”の方が勝っちゃって、京アニを代表とする日常風景のデザインは加速したと思われます。が、FLAGはおそらく唯一ロボットアニメというジャンルの中で生々しい現場感を見せようとしたのではないでしょうか。白須冴子の映した内戦の人間たちと、湾岸戦争-イラク戦争の状況のニュースでも多用されてきた戦闘機に搭載されたガンカメラによる冷たい攻撃の映像の連続は特異な印象を残します。
観たアニメは忘れましょう。でも培った手持ちカメラと手振れはそのままに、生々しく会いましょう。