17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

アニメの特に強い中二病感はどこからどうやって発生するのか?トホホのモードレビュー

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 初めてザーッと今季アニメを見るなんてことやってみましたが、高校生くらいの男の子と女の子が何らかの能力もってバトル、そして唐突なヒロインのエロみたいなのごっついあるんですね。

 ところが不思議なもんで中二病感というのは女の子しかいない日常やら男の子しかいない作品ではあんまり言われている気がしません。男の子と女の子がなにやら能力を持って闘う物語のときに濃厚にそのしょっぱい気配を感じます。なぜか?のモードレビューです。

 

 

 

 

 

魔法戦争 第一話 視聴10分

 

 

  ラノベアニメ化でよく見かける構図の高校くらいの男の子と女の子平等の人物配置でセックスと戦争両取りは特に中学生っぽさが炸裂する印象あります。なぜなのでしょうか?

 

 これで女の子しか出さない、男の子しか出さないように絞ってる場合ってあんまり中学生感云々って言われねえよな…男か女かに特筆しちゃうことでポルノに焦点を絞れるわけで、そこでバンドやるとかアイドルやるとか水泳やるとか、猥雑に言ってぜんぶセックスの代償行為くらいに絞っちゃうからあんま言われないんでしょうか?「けいおん中二病」ほとんど言われないですよね。

 

 高校くらいの男の子女の子平等でお話進めるということでそんなトホホを遠ざけながら作る場合、もう少し世界観の水準上がっちゃうから人間関係の部分に凝らないと持たない、だから「あの花〜」とか「凪の〜」が妙に評価されているのでしょうか?岡田麿里氏は中二病の隙間産業を為しているということなのでしょうか?

 

 

 

 

 

ハマトラ 視聴12分

 これも男の子女の子平等セックス超能力戦争ですがまだこっちは探偵事務所で社会の暗部を追うってことでトホホを一見抑えてますが、第二のトホホにはどうあがいてもより社会的・現実的な舞台で超能力やらを使う世界観をいかに社会や現実の、あるメタファーとして合わせて行く時の解釈です。この段階になるとほとんどの作り手はもう9割9分駄目。この作品だけでなく山本寛から神山健治、そして「おおかみこども」の細田守クラスに至ってもたいへんヤバいでしょう。

 

秋葉原と中野(下北沢)しかない東京たるアニメではポルノ極めるかサブカル気取るかのどっちかのモードでの勝ち方までしかパラメータがなく、双方を制したシャフトまどマギまでが限界です。それでもギリギリ社会システムのメタファーということの作品世界設定で魔法少女契約ネタと痛々しい少女って部分がそう言えるかもしれません。

 

 「フラクタル」から「C」の世界観をふりかえっても、みんな作品世界の超能力からヒーローの存在などなどの超常というのを社会や現実の中の何のメタファーなのか?の踏み込みの異常なレベルの低さが目立ち、中学生感というのはこういうメタファーとして語る弱さから発生していると自分は思っています。

 

 アメリカで一つのモードと言えるスーパーヒーローのアメコミがありますが、優れている作品は本当にヒーローがアメリカにおける社会や現実のあるメタファーを形作ることを徹底しています。「バットマンダークナイト」を挙げるまでもなく、近年のアメコミ映画から近年翻訳出版が相次ぐアメコミの数々は、確実に社会や現実のあるメタファーを強く表現しています。先述の作品は「ヒーローの正義とは?善悪とは?」みたいに単一的に語られがちですが本流はそこだと思えません。

 

ここでピクサーやディズニー、ジブリなどを持ち出すのは卑怯かもしれませんが、みんななんだかんだで作品世界の突飛な要素を現実や社会のメタファーとして作る力はぶっちぎれてますし。細田守に意外に少なくない違和感や批判があるのはこの点ではないでしょうか?

 

 ここまで書いて、やっと前身の記事から上手く書ききれなかった日本ラノベアニメゲーム界隈の強さと弱さをかけた気がしてますが、わかり辛かったら申し訳ない。「大人がいない」とかそんな次元の話ではなかったのです。

 

 なんか昔の「ウルトラセブン」などの特撮などかありがたがられたりするのは、そういう強さじゃねえのかなと想像します。理由は簡単子供に見せるからです。子供に社会や現実のロジックは直接理解させられないし、本当に残酷な物事を見せるわけにはいかないからからメタファーにする。社会や現実のある物事をおとぎ話のように書き換える。その作業すっ飛ばしてオレ強いだから中二病臭くなるんじゃないすかね。

 

 

 senpai club ep1 視聴フル

 

 「日本好きの外国人が愛ゆえに作ったものが文化的な感覚の差、技量の差ゆえにおかしな出来になったのを笑う」類かと思いましたが、わざと日本語と違う英語字幕にしていたり、作った人の日本語能力のレベルを見るに、主題歌の意図的な日本語のわかってない感じさえ狙っているのかもわかりませんし、女の子にだけ凄い労力をかけて男は絶命的にいい加減というあたりにこれはわざとやってるなと思いました。

 

 その根拠となりえそうなのは、イケメン男子キャラはみんななんで顎とがってんだよというのを「学園ハンサム」というゲームが痛烈に茶化していましたが、なんとこのカリカチュアライズされたゲームの評判は海外の著名なkotakuEurogamarといった情報サイトにまで届いていることです。それさえ参照にしてるヤバさ。

 

 外国の方々は動画サイトで外国語字幕を職人につけてもらって日本のアニメやTV番組などを観ているようですが、そうしてネットによって積立挙げられた日本アニメへの知識とパワーがこんなシニカルなネタを生んだようです。男の子はボコボコの描写にして女の子の方にパワーを持たせる作戦!さあこの作品に中二病を感じるでしょうか?

 

 ともあれ男の子と女の子が揃って能力者なんてのをまともにやろうとするとメタファーにする力が相当に必要になるという話でした。観たアニメは忘れましょう、でも培った技術とモードはそのままに、来季でお会いしましょう。