17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

『BANANA FISH』がアニメ化までの30年間で最も古びた部分とそうでない部分

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BANANA FISH 視聴15分

えっ……グリフィン(主人公・アッシュの兄の軍人)はイラク帰りってことにしたのか…そうか…

原作の出版からおよそ30年、『BANANA FISH』はスマホもあるアニメ世界に無事に転生したようです。そして思ったよりも往年の原作のアニメ化転生は浮いてはいないように見えます。

 

しかも原作の絵柄やシークエンスの再現度や再解釈度も高く、おまけに違和感がそんなになかったりする。意外にハードボイルドアクションのアニメってノイタミナではサイコパスやらいろいろやってたわけで、制作MAPPAなんですけどそうした作品に連なるようなアクションの切れを感じます。作画枚数も多く、シーンのテンションを守ったまま映像を成立させているのは本作にとってはあってて良いです。

 

でも時代を感じるかな~というのは、デリケートな話題になりますが人種のバランスかもしれません。原作中でも言及されますけどストリートギャングでブロンド白人男性のアッシュがアフロアメリカンや中南米系まで支配するという構図って、よくよく考えると連載開始当時の日本人側が想定している人種のパワーバランスそのまんまなんですよね。アメリカに夢見るとき、やっぱり白人がトップで、黒人(第1話ではスキップ)は弟分で、相棒はアジア系という構図というか。

実際は低所得などの環境からギャングになる存在って人種やルーツごとに固まる傾向があるわけで、そこには白人男性優位社会から脱落した前提があるからそうしたチームは難しい気もする。実際、連載が佳境に入る90年代以降のアメリカのストリートギャングで目立ってくるのはアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系アメリカ人で、その背景ともつながったサブカルチャーで台頭してくるのはヒップホップですからね。

 

ここはやっぱ当時の日本人少女漫画家の見るロマンの限界かもしれないです。「中性的な天才で、時に冷徹だけど悲劇的な立場に追いやられた白人少年、日本人の友人だけ心を許せる」がアッシュのキャラクターデザインなんですけど、これ乙女向け萌えキャラ要素全部乗せじゃないですか。あるいは80年代の限界といいますか。まだ白人優位のアメリカに憧れまくってるのが素直だった。

ストリートギャングという設定は天才白人少年の悲劇面とワイルドだろう感、あと、作者の吉田秋生大友克洋の『AKIRA』に影響受けすぎを出す以上の意味が出ていないんですね。

とはいえ、これでも人種や性差の取り扱いがアンタッチャブルな商業アニメの世界でも突っ込んでいるほうなんですよね。(もちろん、人種や性差に関して触れたら偉いとかいうわけはないですよ。ちなみに放映中の『ゲゲゲの鬼太郎』や『プリキュア』の脚本はそのあたりのナイーブなところに上手く関わっていると思います。)

もういまテーマとなっているのが、これまで白人男性優位の社会で他の人種や他の性差(女性、そしてLGBTQ)というのがものすごく抑えつけられてきたから、それをどうにかすることがシナリオにも現れてきているということで、『ブラックパンサー』のヒットや『レディ・イン・ウォーター』『シェイプオブザウォーター』のアカデミー賞もそういうことですよね。そして『ズートピア』もそこを意識してましたよね。

BANANA FISH』の連載が始まり現代までの30年の間、実際のストリートではアフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人の台頭、そしてオーバーグラウンドでも人種や性差をどうにかしようとする動きが現れた。なので徐々に白人のブロンド男性中心というリアリティが薄れてきてる。だからといって乙女ゲーのように人種や性を無視した萌えで突破していい作品というわけでもないというところでアッシュは今、ぼくにとってはすこし古く映るのかもしれません。

ちなみに奥村英二のキャラデザは『Free!』で培われた萌えパワーが1200パーセント注入されててすごいと思いました。観たアニメは忘れましょう、でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 (ご指摘があり、デルトロ映画のタイトルを修正いたしました…訂正前はシャマランでしたね…)

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