17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

往年のアニメの記憶の偽史化『メガロボクス』

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メガロボクス 1話 視聴18分

<これまでのあらすじ>

 

 

 

前シーズンに飛び込んだニュースで名作のエクストリームリメイクに唖然としていたのもつかの間、現実には次から次へと名作が名作のまま、かつて視聴していた記憶をまるでHDリマスターするかのようなアニメが量産されていく。記憶のHDリマスターの軍勢が圧倒的な中、荒野にたったひとりでバイクを疾走させるかのように迎え撃つエクストリームリメイク『メガロボクス』の価値は。

 

80、90年代のアニメの記憶はリマスターするように作られるが、それ以前はそうはいかない

少なくとも自分の感じで恐縮ですけど、たとえば銀英伝のリメイクや、キャプテン翼の再アニメ化、最近の魔法陣グルグルを観る時ってやっぱり自分が子供の頃に観た記憶と繋がっている感覚はありますよね。そのあたりの時代性から切り離したりしない。80年代や90年代ごろの再アニメ化は、総じて時代性と切り離した作りにはしないです。

記憶のHDリマスターとも違う、元の漫画や映画を原案にしてぜんぜん違うアニメ化にしちゃうのをエクストリームリメイクとか言ったのが前の記事の趣旨でした。それからしばらく経ち本編を見ますと凄いですね。本当に70年代以前の題材で、SFなどのジャンルを噛まなかった原作は、その時代性も加味したまま作り直されたりしない。

作画アニメ制作による歴史観

むしろ記憶の偽史化を感じます。『メガロボクス』は80年代初頭の作画的なデザインなんですが、それもあるのか何故か『AKIRA』のオマージュがあるのです。それは果たして出崎統の「あしたのジョー」とはテクニカルな作画のものだったっけ……一応『AKIRA』の作者、大友克洋が漫画作りを勉強するとき、「あしたのジョー」をはじめとするちばてつやの作品を参考にしていた話がありますけども、それ根拠にするのはまた別ですよね。ええ…ジョーって今AKIRAと同じ枠なの…みたいな。

今からあと20年たった2038年くらいに『少女革命ウテナ』がエクストリームリメイクするとしてまどマギみたいな意匠があったら、作り手は90年代から2010年代のそれを一緒にするの?ってなりますよ。

小池健渡辺信一郎みたいなクールな作画によるアニメーションを作ってきた人たち史観という気がしますよね。『あしたのジョー』の。逆に考えると昔の作品ばかりアニメ化するということは、作る側の原作への歴史観も見せてるとも言える気もします。

   

考えてみればクールでデザイン的な作画中心の人が、今とは全然違う出崎や梶原一騎アニメのコンテ描きつけみたいな制作方法を一周技術を持った側から見たらクール、って感じで『グレンラガン』『キルラキル』などはやっていくんですが、あれは歴史の編み直しの意味で史観はギリギリ納得いくものでした。

Devilman Crybaby」は記憶のHDリマスターとエクストリームリメイクの中間にありますけど、「Devilman Crybaby」って反論もたくさんあって、やはり原作に触れた体験のリメイクの趣旨に抵抗してた面はあったでしょう。しかしジョーはどうなんでしょう。パチスロ化、CMアニメ化を経て、もしかして真剣になるひとは徐々にいなくなっているということでしょうか。

デビルマンを本気で面白がる面とこういう記憶の書き換えはやだなと思う心で揺れるように、『メガロボクス』は作画と美術が面白いなと思える面とAKIRA引用がハマらない史観に混乱するのです。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。

 

 

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