17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

「魔法少女 俺」批評家はメタに弱くオタクはパロディに弱く、おもしろ作り手は筋肉に弱い

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魔法少女 俺 視聴10分

なんか批評やら書くひとはメタに弱く、パロディにオタクは弱い。パゾリーニの「ソドムの市」をベストに上げ、劇場版アニメけいおん(というか、商業アニメの萌えアニメシーン)に辛辣な評価をした映画評論家・小野寺系さんが「ポプテピピック」について書いた時はえっ、と思いましたし、ビデオゲームのジャンルなんかでも作品世界とプレイヤーが関わるっていう基本形があるから第4の壁*1 を超える演出というのが最近は多いから、ジャンル論になるから批評書きは反応する。パロディになれば元ネタ探しやらなんやらでオタクが反応するというのがやたらと起きます。

しかし第4の壁やぶりもパロディもみんなが気軽に手を出すようになったことで、当然大して質も高くもなく、面白くもないメタもパロディも溢れますよね。水曜日のダウンタウンなんか見てると上手いこと言いますよね。忘年会の余興この世の地獄説とか。

 

魔法少女 俺」を観ながらそんなことを思っていました。冒頭の特に本編に絡まない、白黒になる演出のネタ、そして敵のデザインを観ながら「人類が超兄貴で笑っていられたのはいつだったけな…1992年か…」と思い、当時流行ったギャグを思わず調べました。するとどうでしょうか。「松村邦洋のバウバウが流行る」という記述がありました。

いま、画面の中で好きな人がさらわれかけた主人公が変身しました。冒頭の画像の姿です。ニコニコのコメントで楽しんでいるコメントが流れました。「2018年に超兄貴みたいなことで笑える≒松村邦洋のバウバウで笑える」これをぼくが面白いとさえ思えれば、松村のバウバウで笑える世界になれば世界から麻薬はなくなるのにな、というか松村の「ピロピロ」「バウワウ」は今観たほうが面白いんじゃないか、昔スーファミで発売した松村邦洋伝はおもしろんじゃないか。

この世界にはなんといいますか、「おもしろ作り手」という存在が数限りなくいます。メタもパロディもほんとはセンスある作り手がかなり考えて手を付けた分野、気がつけばその手法もなにもおもしろ作り手に見つかってしまい、使われるようになります。先鋭的に毎回主演声優を変えるとかの仕掛けくらいのことにデュシャンの名前を出したりするのは別にジャンルを壊すのでもなんでもなく、メタやパロディという秘境をおもしろ作り手に発見されてしまった悲惨な事実と言い切るべきです。別のアニメの別の批評の話ですね。

そんなことよりおもしろ作り手からどうやって距離をとるかです。筋肉にはいつだっておもしろ作り手が近寄ってきます。松本人志は自らでおもしろ作り手が好む存在に作り上げました。おもしろ作り手はそこらじゅうにいます。世界を忘年会に作り上げようとしています。

あと関係ないけど戦闘シーンで微妙に手振れカメラふう&アイドル基本系をみるに、ほんとうに京都アニメーションと「ラブライブ」(あるいは「うたプリ」でもいいです)てこの2018年になってもアニメーション構築の基本形に居座っていてすごい。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。

 

超兄貴?兄貴のすべて?

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松村邦洋伝 最強の歴史をぬりかえろ

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*1: 演劇用語。現実で行う演劇の舞台は、観客というものが基本見えないものとして演者は作品世界を演じるものであり、観客との間を示すこと。