17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

そもそもストーリーを不要とするのはものすごく技術いるよ

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ウマ娘 プリティーダービー』視聴8分

 

ストーリー不要」や「ストーリーは死んだ」話がやけに注目をあつめてますが、ストーリーを完全に不要として成立させることは意外にどこもやりきれていないのではないでしょうか。なに?キャラクター消費?そんな簡単にみんな消費してくれねえよ!流行にならねえよ!膨大な死屍累々があるって!「けいおん」「ラブライブ」みたいのって、あれはものすごく技術も戦略も総動員して当時のデザインと差別化図って今日のヒットになってるんですから。

 

むしろ、技術が足りないからこそストーリーというものに引きずられるのは確かですね。キャラクター消費で行きたいのに、つまらない便宜的なストーリーを切り切れず、逆に観客を萎えさせるというのがどれだけあったか。

もともとソシャゲの「ウマ娘」とか見てくださいよ。ソシャゲ自体も意外なくらいストーリー性を感じさせるシナリオが用意されていたり、そんなソシャゲのアニメ化というのは大抵断片的なゲームでは感じられないストーリーを補完したい意味もあるのでしょう。

逆にわけがわからんのがTVアニメにストーリーを欲しい」というのはどういうこと?まあ前シーズンは『よりもい』とかあったじゃん、または劇場版アニメみたらいいじゃんとしか思わないんですけど。

2006年から10年くらいは、優れた意味でストーリー性を消しても面白く成立させることが進んでたと思われもうすこし詰めてまとめられるとも思いますし、ストーリーやら作家性なんて2016年に話題になった諸作品みたらいいじゃないですか。TVアニメ的に連続ドラマスタイルのが欲しかったらNetflix入って『ボージャック・ホースメン』みたらいいじゃんとも。

金を払うメディアでは全然ストーリー必要じゃんと。正直ストーリー必要のキャラクター消費って基本無料のメディアの話なんですよ。TVアニメ、ソシャゲ、Vtuber……そんなに金を(基本は)払わない娯楽でさらに作品性を評するわかりやすい根拠になるものがほしいのか。今オタク?とされるひとを主語にしてストーリーどうたらの仮説を書くと、逆に基本無料メディアばっかり注目しているひとたちということになってしまうけどそんなわけねーだろと。

   

ストーリーを芸術的な意味で無くしていくこと

ほんとは劇場版アニメが、芸術的な達成として意図してストーリーを可能な限り無くした作品を作るってのやったらすごいことだなと思うんですが、なかなかそれは難しい。実写映画の分野で小津安二郎が永遠に近い評価を得ているのは、まずそういうことと思ってます。

たとえば山田尚子監督作品は『聲の形』はぼくは最高と思うけども、でも一方では『けいおん』で唯ちゃんだったか前髪を切る切らないだけで成立させる手腕のほうを素晴らしいとも思う。それはストーリーという鎖から解き放たれたれているからとも言えます。

逆にストーリーという鎖に繋がれていることでつまらなくなっているというケースってめちゃめちゃありませんか。この話は脚本のうまいへたの次元じゃないですよ。『ウマ娘』、無でありますようにと祈りましょう。「名馬=アイドル」だからエンディングがアイドルソング、つまりこれはキタサンブラックを擬人化したアイドル=北島三郎という現実の反映なんですよ。無ですよね。無は美しいのです。観たアニメは忘れましょう。培った貯金はすべて馬券につぎ込んで次回にお会いしましょう。