17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

潔癖と不潔さの間のアニメ

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視聴10分

 

潔癖な人間とは基本的に自分を取り巻く世界の全てを汚いと感じている。ということは逆説的に概ね潔癖な本人が最も汚いということになる。「お前は潔癖すぎる」と言われたならば、それはあなた自身が周りからもっとも汚れた人間であると言われたのと同じである。この論法に乗っ取ってしまえば、この作品は誰よりも汚れた人間を見つめるのと同じであり、ギャグなのだとするならば汚れた人間を笑いものにしていることになる。そしてそんなことをアニメに対して言うことは何の意味もないのである。

 

潔癖な(そして逆説的に誰よりも醜く汚い)主人公がサッカーでろくに他選手とコンタクトもせずに無敵に活躍してしまうというのはあれだ。なろう小説だ。異世界ものだ。異世界はスマートフォンとともにあるあれだ。ほんの少しでも教養があれば、なろう小説の実態不明の主人公の無敵さかげんは逆説的に誰よりも醜く汚いことはわかるだろう。

 

青山君がなんの努力もなくあのサッカーの技能を手に入れたのか天才だからってアナウンスが付くのかはわからないが、逆説的に誰よりも醜く汚い彼がいくらサッカーがうまいからといって周りのチームメイトは支持するものなのだろうか。さすがですわお兄様と言うことと大差ないのではないか。

 

ぼくは一発ネタなこの原作が5分ではなく25分の尺でアニメ化され、しかも実質的にはメアリー・スーであるなろう小説異世界小説のアニメ化と大して構図は変わらないみたいだねと面白くなってしまったのだが、一応現実が舞台であることの唯一の救いはツッコミ(的な)存在がいることである。そうゴールキーパーの財前君である。

なろう小説や異世界小説にはツッコミがいない。新興宗教やカルトの場にはツッコミがいない。元アイドルが議員になって言った「批判なき政治を」というひとにはツッコミがいないからスキャンダルを起こした。オタクには外部からの膨大な批判や侮蔑の言葉を浴びせるひとはいても、対等な立場から成長を促していくようなツッコミがいない。このアニメを不潔ななろう異世界小説アニメの亜種だとして、救いとはツッコミがいることである。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。