17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

最近のラノベアニメ、気の毒なほどおおらかすぎ

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クロックワーク・プラネット 視聴11分

 

「唐突だが、世界はとっくに滅亡している…ある日突然地球は寿命を迎えた」そう、世界の終わりとはいつでも淡いもの。世界の終わりとは何をもって終わりと言えるのか。核戦争などによる物理的な崩壊。あるいは一人称での自分が崩壊するという意味など多彩で、数多くの作品のテーマになってきました。

 あるいは崩壊からの再生。そういつでも希望をもたらすもの。物理的な崩壊からの復興。崩壊した自身の存在意義の再構築といったテーマもあるでしょう。そう期待した2秒後…「崩壊した世界を、歯車で直しはじめた」おい!どんな復興だよ!どういうレベルの崩壊だったんだよ!「それから1000年後—」そんなに地球持つなら最初から別に滅亡してねえじゃねえか!

 OPではほんとに歯車が地球を覆うシーン。「崩壊した世界を、歯車で直した」の歯車、比喩じゃなかった…というか歯車で構成できるくらい地球資源、余裕あった。

 

 21世紀のラノベ(なろう小説なども含む)とそのアニメ化で優れていた部分に、商業アニメのアート・デザイン水準の上昇はもちろんですが、前回くらいに書いたように純文学や邦画が実はあんまりリーチできてない、今の(インターネットがベースをはじめとしたような)ライフスタイルを描いていることはひとつあると思います。

 ですが一方で、それをやりつづけるのはけっこう集中力もいる話です。今現在の気分を作品に捉え続けるのって、やっぱどっかでできなくなる。だからかなのか、逆流するようにとんでもないアナクロな出来の作品が現れるのでした…

 そう、おおらかなころのラノベアニメに戻りたくなる。そのおおらかさはこの画像から確認できますよ。みてくださいこの自動車。

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 なんておおらかなんでしょうか。ナビが無いどころじゃない。おまけにどうやらラジオやCDコンポもない。それどころかウィンカーも、速度計もない。シートベルトはなんとかある。歯車でデコレーションしまくるゴテゴテさせるいっぽうでどんなミニマリズムでしょうか。しかも道路もおおらかなんですよ。中央分離帯がはっきりできていないし、三車線と区別がつかない線の引き方をされているんです。事故になりかねかねない。この世界のインフラばかりは1000年を経過しても復活してないみたいです。

 びっくりですよ。最近の商業アニメの美術って日常そのものを淡く表現しようとするまでに完成度が高い。美術から物語を表現するシャフトから新海誠のようなケースもある。なのに、「まあ、いいじゃないか」と言わんばかりのおおらかさ。

 

 彼女らの携帯も観てください。今時はスマホがライフスタイル的にもドラマ的にも機能していますし、昨年の大ヒット作品「君の名は」でも大事な役割をになっていましたよね。そうでなくともLINEあたりは邦画でもなんでもライフスタイルに綺麗にとりいれられたもんですよね。では本作はどうなのか?こちらです。

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 うっわ、指挟むわ。歯車がそのまま出てる部分まである。手を傷つけるし衣服も破くことも厭わない。というかこれは時計なのか。だとしたらなぜ腕時計を使わないのか。自動車や携帯がこのおおらかさなので、ではその他はどうなのか?とおもいきや、板チョコレートは普通。えっ?日用品や食品は普通と思いきや、主人公の読んでる雑誌がこう。

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 町内会のチラシか。フォントのチョイス、配置、カラーリングとDTPも一般的になっている時代に、今時ここまではずれのデザインを選択できるおおらかさ。逆にこれは「完璧さに疲れた」「作家性に疲れた」人々におおいに当たる要素を秘めていると言えます。

 ほかにも何の意味のないフェラチオのように指をしゃぶる描写など、「完璧に疲れた」「作家性に疲れた」人々を呼び込む要素が満載です。なんておおらかなんだ。これほどまでに、温泉につかっているような気分になれる世界はないのではないでしょうか。観たアニメは忘れましょう。それから培った技術とモードも投げ捨てて、次回にお会いしましょう。

 

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