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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

動物化するポストモダン「けものフレンズ」東浩紀は正しかった…

2017年冬のモード”春眠編"
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けものフレンズ  視聴■■分

 

 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 最初は「なんだかチープめなセルルック3DCGアニメがあるなあ」とスルーしていました。ふと気が付けばいくつかのアニメブログがいじりはじめました。ぼくは遠目に見ながら、ああ彼ららしいなあと思いやはりスルーしました。しばらくするとTwitterなどでさまざまな人たちが話題にしはじめ、「たーのしー」「フレンズなんだね」というネットミームがばらまかれました。ぼくはまいったなと思いながら、スルーしていました。それから少しするとWebメディアが、それなりに名のあるクリエイターまでもが、企業公式アカウントまでが話題に上げました。ぼくはそのたびにまいったなと思いましたが、やはりスルーしていました。そのうちに誰かがこの盛り上がりに対してで一つの評価を下しました。「これはカルトアニメになる」カルト。深夜アニメにおける顧客が想定しているカルトって…そう思った時には遅すぎました。

 

 セルルック3DCGアニメの中でもそこまでテクニカルでもないデザインなのに、ネットミームが莫大に膨れ上がっていく様子をまえに、途方に暮れながら漠然と「動物化するポストモダン」という忘却のかなたにきえたはずの言葉を思い出しました。

 

 詳しい内容はともかくとして、なにやら大きな物語どうたらこうたら、それが無くなった現代はうんたらすんたら、原作の物語よりも断片的なキャラクターのイラストや設定をファンが2次創作したりアニメやゲームやらのメディアミックス総合のデータベースで感情移入つよめるんだよたーのしー!それが大きな物語の不在を支えるんだよ!すごーい!という内容だったと記憶しています。このあと脱線するのでホイールを動かし、次の見出しに移動お願いします。

 

 しかしあの書籍が重要なのはその本論以上に、海外で展開されている現代思想やら社会学のフィールドに切り込むために、既存の方法ではきりこめない・意味があんまため自分が持っている日本のアニメ・ゲームとオタクの特異性を切り口にしたことそのものと思われ、どなたかが指摘しているような各用語での定義や概念のブレ、つじつまの合わなさというのはもしかしたらあまり意味がないのかもしれません。

 

 それは村上隆が欧米のアートマーケットに切り込むために日本のアニメ・マンガ的な文法を取り扱ったような構図に近いのかもしれません。論のつじつまの合わなさの指摘は、村上アートでいったら「フィギュアが下手。○○のほうがずっと上手い」というのに近いのかも。

 

 しかし実際にアートを作っていく側と、現代思想の側にもっていったオタクネタがあとで還元されたことはどれくらいなんでしょうか。両者がまじでアニメを作る側になると「フラクタル」や「6HP」となってしまい、ますますボコボコにされるんですけどアートやデザインの方面では村上隆のアートとデザインは、水面下で良質な影響を与えていると見ています。

 

 しかし問題は、オタクやサブカルチャー現代思想に持っていくというそれです。あとには死屍累々しか生み出していない気がしてならないんですがどうなんでしょうか。宇野常寛はじめPLANET関係、そしてそれらに影響をうけたっぽいアニバタに投稿してるみたいな人たちをみてると(彼らは海外の言論のメインストリームでも発表しているのでしょうか。そうするとめちゃめちゃな内容の裏にある戦略としてわかるんですが)。

 2001年当時だったらスーパーフラットだとか動物化するどうこうとか、あの当時から実際のオタク界隈にはボコボコにされてたと思うんですが、一方ではもしかしたら実践と批評の双方からサブカルチャーを次の領域に引き上げる契機になるのかもしれないみたいな期待感を一部の意識も実力も高い人はちらっと思ってたんでしょうか。16年もたった今はどうなんでしょうか。

けものフレンズ話に戻るよ

 そんな村上・東両氏の小話に脱線するのはともかく、けものフレンズのネットミームが届くたびに、ぼくには「動物化するポストモダン」という書籍のガワの部分ばかりが反復されるのでした。オタクの消費行動で作家性やら物語やらでなくキャラや設定やら世界観どうたらで消費していくという様子。そこに膨大なブログやSNSによるいじりが混入した世界。そうして膨れ上がった状態が、一部に「カルトだね」という評価になるという様は、なかなかに気が抜けるのでした。

 

 それはカルトと評される作品とは強烈な作家性や既存の手法をすべて打ち破ったなにか新しいものをなんとか発見していくみたいな、映画や小説の在り方のようにぼくが思い込み過ぎているのかもしれません。どうかんがえてもそういう意味ではないけど深夜アニメのカルトってきっとそういうことでいいんでしょう。そんな諦観から、ふと東浩紀の代表作のことを思い出したのでした。そうだ彼は正しかったのかもしれないな…観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

 

ものすごいツイート。作り手を舐めてこそ消費者。学ばせていただきました。

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