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17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

今季のアニメーションの1話だけを観て今のモード(形態の流行)を全て決める最悪のアニメレビュー

『6HP』 村上隆が炎上するのは、逆説的だがアニメを愛しているから

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6HP 視聴フル(本編&ドキュメンタリ込み)

 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。この作品で2016年を終えるのはきりがいい気がしていますよ。

 

 村上隆監督作品であり、一から自前のスタジオを立ち上げ制作したという本作。放映前から未完成であるということがアナウンスされ、大地丙太郎監督は怒りのツイートを残しましたし、はたまた「テレビ版エヴァみたいなことをしようとしている」とか「失敗したことさえ含めて”ネタ”として扱う現代アートのパフォーマンスアートをTVアニメでやってる」などなど様々なつっこみが寄せられました。では実際どうだったのか?というと…

 

……割とまじな話、ワンクールで放映されるアニメの低クオリティ作品よりかは上回っている出来であり、決して全く目も当てられない作品ではないです。ぶっちゃけ、劇伴やSEといった音回り(ここに関してはドキュメンタリーで一切言及してなかった)がきっちりしたものがついていれば、普通に見れるクオリティではあると思います。スタジオ絵夢あたりの作品と競ってるくらいです。(どうでもいいですが、絵夢も新興スタジオですね。)

 

 しかし「現代美術作家・村上隆のアニメ挑戦」とかそういう観点ぬきにしてみれば、意外なくらいまっすぐに作っていて、そしてあんまりおもしろくない作品なんだと思います。

www.youtube.com

 それにしても、最初『6HP』をまともに認識したのは化粧品ブランド・シュウウエムラのプロモ―ションビデオからなんですが、ここで見せたアンディ・ウォーホルとかリキテンスタイン的な、”アートやデザインの素材としてアニメやマンガ、オタク文化を使う”カットアップの美しさは本編ではあんま生かされてないんですよね…

 

 現代美術作家が行うポピュラーカルチャーのアプローチって、さっきも上げたアンディ・ウォーホルなんかも映画を制作していたりとかやってるわけですよ。でもまったくウォーホルは普通の劇映画なんて撮らなくて、映像の持ってる時間の記録という性質にしか興味を持たなかった。制作した映画は眠り続ける人を8時間映しただけの映画とか、エンパイアステートビルの様子を8時間映しただけの作品なんですよ。劇という意味がない。時間を切り取っただけなんです。

 

 ウォーホルまでは遡りすぎで、いまは『ブンミおじさんの森』『光りの墓』アピチャッポン・ウィーラセータクンや『ハンガー』『それでも夜はあける』のスティーヴ・マックイーンなど、美術作家から劇映画を制作し、評価を得ているケースはいくつもあります。ですが、村上隆の場合はアプローチのある種ドライさが特にウォーホル的だ、と自分なんかは判断していましたから、変な話映画やアニメを制作することに関してもドライなんだと思っていたんですよ。

 

 ところが実写プラスCG映画『めめめのくらげ』あたりを見るに、もしかしたらガチなのかもしれない、ポピュラーカルチャーを思い切り作りたいという欲求が全開にあふれているんです。ここで、村上隆がもともと「漫画やアニメのようなポピュラーカルチャーの側に行きたかった。オタクになれなかったから現代美術にいった」という前提があったことを思い出しました。

 

 『6HP』の前身がもともとフランスでのヴェルサイユの展示で発表されたビデオアートのひとつで(ちなみに、ドキュメンタリーでのヴェルサイユ展の経緯は『6HP』をもっともコンセプトの解説として適切ではないかと思う)、そこではウォーホル的な日本オタク文化カットアップで意味あるものだったんですが、今回放映された作品とドキュメンタリー見る限り、カットアップで済ませるつもりはなく、やっぱこれガチなんですよね。日本のアニメ・漫画の独自性をネタとしてカットアップするアーティストじゃなくて、ポピュラーカルチャー側として真剣に作ろうとしてるんですよ。やっぱもともと憧れてた宮崎駿になりたいんですよ。大友克洋になりたいんですよ。レイアウトとか背景ディテール、そこに違和感なく溶け込んだCGの電車あたりに異様に力が入ってるんですよ。

 

 村上隆が本当にドライに日本のアニメやマンガをカットアップするだけだったら実は今日のような炎上は起きていなくて、本当はアニメと漫画を心底愛しているから炎上が起きるんだと思いますね。アート側でわかってる人でもこの真剣な作りようにけっこう戸惑ってましたし(カオスラウンジ黒瀬陽平とか)。愛してなかったら『6HP』本編は作んないし、もしくはAC部みたいになってたでしょう。

 

 岡田斗司夫の発言はあながち間違いではなかったのかもしれません。 「現代美術家としての村上隆と、アニメを作っている村上隆は別人なんだ。アニメを作っている村上隆って、中学生か高校生ぐらいなんだよ」これほんとそうだと思います。ヴェルサイユにもっていった時点のドライな感じ、まったくないですもん。

 

 あと、うすっぺらな部分でしか美術を評価できてない心底だめな漫画ギャラリーフェイクダヴィンチコードみたいにミステリ的なテキストがなければダ・ヴィンチにさえまともにアクセスできないみたいなひとたちが評価してると思う)を批判の錦の旗にするのはやめましょう。あとで損するだけですよ。『6HP』、おもったよりまじめに作っててつまんないね、それでいいじゃないですか。僕はルィ・ヴィトンの時に組んだ細田守と手を組まねえかなあと思ってました。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。