17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

『ドリフターズ』超強力な漫画原作をアニメ化する制作陣全体にグルーヴに素直に乗ってしまえばいい

Ads

f:id:EAbase887:20161026231418p:plain

 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 制作公開本数が今季膨大になったが、ついに「質が低くなっているのでは」という現実に来てしまったかもしれないとさえ思う中、わずかに原作が多くの読者から制作陣全体に愛されていて、そのグルーヴ感がそのままアニメになっていると感じた作品があります。それが『ドリフターズ』です。

  

 正直、あんまテクニカルなところというよりも制作陣全体の本作をがっつり演出してやろうという熱意の高さがすごくてそっちでやられちゃいますよね。「3月のライオン」って羽海野チカの原作と新房監督の演出とで全く別の作品になっているんですけども、アニメ制作陣が独自解釈して完全新作としていくのは面白いいっぽう、しゃらくさいところがあるわけです。

 

 でもこれは完全に原作を愛するファンや製作陣の気分がそのまま演出に乗ってる感じします。戦国時代のモノクローム演出とか、墨絵的な手描きの背景美術のテンションのまま手前→奥移動を実現してるとか、そういうことはいくらでもいえますけどこれ、制作陣が「アニメでしかできないことやってやろう、監督ならではの演出してやろう」という臭みがまったくないですからね。力あるスタジオほど演出やデザインの作家性を発揮していくことで、原作との分離が如実にあらわれるんですけどこれは殆どないです。

 

 『ドリフターズ』はヒラコーともども原作に熱狂していく熱量がそのまま現れているという、なかなかない現象が起きていると思います。これほんと、ド直球ながらあんまりない。「進撃の巨人」以来かもしれません。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。

 

 本日の哀しい出来事

f:id:EAbase887:20161027122011p:plain

 このブログタイトルにして心底「やめときゃよかった…」と思う時は、検索ワードに以上の結果が現れた時です。