17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

「少女たちは荒野を目指す」感想 この界隈の停滞はデザインにも出ている

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 またひとつ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 漫画家漫画とかアニメ制作アニメとか最近よく見かけるし、バクマンとかSHIROBAKOなんて作品はちょっとした話題になったりしていましたね。「少女たちは~」もどうやらそうした作品にあたるようなのですが、ところがこれはギャルゲーとか18禁ゲームとかいう境界をひっくるめた、美少女ゲーム制作をネタにしています。

 

 

 この屑のような書き散らしでざっと1クールの商業アニメーションを眺めるなんてもう3年近く(うわぁ…)やってるわけですけど、18禁の美少女ゲーム原作のデザインの水準は決して高くはありません。客層の欲望みたいなものに無抵抗で、きちっとデザインすること(おしゃれな、って形容をしたほうがいいでしょうか)に反抗的な土壌あるのかも…

 ざーっとオタクネタ界隈みると、おおよそキャラデザインの色彩のチョイスやファッションで大体、客層の欲望とどれだけ距離をとれているかを観れると思うんですが、美少女ゲーム界隈は特にその距離がめちゃめちゃなような気はしてます。(なんだかんだでその中でもニトロプラスはちょっと考えてる気はします)

 

 「少女たちは荒野を目指す」は全年齢を対象に、美少女ゲームを作る高校生たちを描いた作品と言います。「荒野を目指す」というのはどうやら美少女ゲーム業界を目指すということらしいのですが、そういやこちらも気がつきゃけっこうなデザインの停滞が観られる界隈なんですよね…脚本はともかくとして、コンセプトを反映したデザインを観ると抜けが悪いです。

 

 とりあえず広い対象を置いているのもあるのか、美少女ゲームっぽい極端な黒髪のロングシルエットのデザインに、今っぽいキャラごとに髪の色を変えるとかやってキャラ分けをしたりしない、全員近い色調でのまとめ方になってます。…難しいッスね。こういう美少女ゲームっぽさを残しながらタイトな映像に仕上げるつったらPAワークスっぽいんですが…個人的に荒野と思うのはこうしたデザインの抜けが他のスタジオとも比較してあまりよろしくないことですね。

 

 

 

 

 観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。