無限彩色のファントムワールド 視聴2分・3分・2分・5分・2分って感じ
また一つ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。
一見して「ついに京アニまで屑みたいなラノベアニメを…」というビジュアルとタイトル、しかもこれが京アニの原作貯蔵庫のエスマ文庫からのものだというからいよいよヤバいのか。それとも「ユーフォニアム」映画版や「たまこ」の山田尚子監督の新作「聲の形」までの繋ぎなのかと思われました。
実際、ほとんど意味の無い世界観、手癖のキャラデザに加え、丁寧なアニメートを全て巨乳描写とかポルノに使い果たしているあたり、去年「オタクを客に想定しているとはいえいったいどのオタクが喜ぶのか」としか思えないクソラノベアニメと蔑称される一群に近いです。
ところが随所にとあるデザインが含まれており、このデザインによって実質的な距離間は単なるクソラノベアニメを観る物とは異なるものになっているのです。やはり京アニはタチが悪いなと思うに至るのでした。
それはデジタルの映像が時々起こすグリッチやブロックノイズを、デザインの中に取り入れていることにあります。初見のPVやイメージではあまりフィーチャーされていなかったため、本編にてポルノを推しながら裏で仕掛けているガチな部分はここです。
特にアニメートがもの凄く面白かったのが、冒頭で主人公が目を覚ますシークエンスです。寝ぼけて視界がボヤけて…というのがボクセルアート*1にて表現され、焦点が合っていくごとにはっきりとした絵になっていく、というシーンです。普通にここは1話でもっとも素晴らしいのではないでしょうか。
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こうしたデジタルメディアならではのノイズやグリッチのデザインを意図的に含めたやり方は、デヴィット・オライリーを思い出します。上の過去書き散らしを読んでていただけると早いのですが、早い段階で意識的にアニメにデザインしてきた天才的な作家です。3DCGアニメの中に膨大なグリッチを意図的に含めることでデジタル映像が持つ質感を露骨に見せつける作風なのです。
案の定京アニはただではクソラノベアニメは作らず、デヴィット・オライリーばりの距離間を持ってデザインしているように見えます。表向きは露骨な巨乳のリンボーダンスでだましていますが、作ってる側はやっぱこういうクソラノベアニメと距離を取っているのだと思います。
後はこうやって「結局このクソラノベアニメははっきりフィクションで作り物のデジタルなものなんですよー」と映像にて距離を取ってることが脚本とか世界観に上手く反映されたなら、思った以上に面白くなると思われます。
確変起きればそれは押井守の「ビューティフル・ドリーマー」の2016年版になり、クソラノベアニメと言うジャンルそのものを俯瞰した脚本が展開され現代ファントム論壇とか言ってデリダとかその辺をWikipediaから孫引きした程度のでたらめで説得力の無い書き散らしが溢れるとかいうことになればきっと成功なのですが、なんだかんだ言って最終回は水着で水球やって終わり程度の気がします。
自分で書きながらソフトオンデマンドの企画にげんなりされそうな程度のスケベ発想でげんなりしました。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、あのプールでお会いしましょう。