17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

紅白にまで出場するμ’sの現実とシンクロさせた映画「ラブライブ!」レビュー

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劇場版ラブライブ! 視聴フル

 

 また一つ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。これを2015年締めくくり書き散らしにしておきます。

 

 今更ながら劇場版ラブライブ!書き散らしです。PS4ストアに配信されたのでちょっとレンタルして見てみましたが、むしろ今この時期に見たほうが意味あんのかもしれませんね。

 

 なぜってコンテンツとファンがかけあいながら拡大してきたラブライブが、現実にまで拡大しちゃったからです。μ’sがマジで紅白に出場しその後に解散を決定するなんて、映画版のシナリオをそのまま現実が後追いしてるみたいじゃないでしょうか。

 

 決して全体的なクオリティは高くないです。サンライズ製作のアニメーション特有のぎこちなさと粗さは劇場版であれどそのままです。キャラクターに極端な味付けを施すことに注力してアニメートのタイミングはあまり気持ちよくはありません。(商業アニメーションの正史のデザインを引き継ぐジブリ出身の吉田健一が作画チーフを務めた「Gのレコンギスタ」は本当に特例ではないでしょうか)

 

映画 けいおん!  (Blu-ray 初回限定版)

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 映画だからということでアメリカに行ったほのかちゃんたちは、ロンドンにいったゆいちゃんたちの「けいおん」の劇場版とよく比較されてると思います。ですが、京アニのデザインやレイアウト、アニメートの正確さと比べると正直ボロボロです。映画ならではのリッチさはここにはありません…なんていうのは違うかもしれませんね。

 

 ほんとは逆で、すでに深夜UHFアニメではTV放映(その後のBDでの修正)の時点で映画館のスクリーンに映しても遜色ないクオリティの作品が平然と毎週放映されており、「映画版だから作画のクオリティを上げる」というのはワンピースやプリキュアみたいな朝にやってる毎週放映されてるようなものであって、すでに11、13話でまとめる深夜アニメは最初からクオリティは高く、映画のなかで改めてそれがわかる、みたいなことがあると思います。

 

 なのでもともとの京アニサンライズの差がそのまんまです。作品単体で見てしまうと映画ラブライブ!はとてもデザイン的につらい、やっぱ服もダサいとろくなことがないです。しかし面白味は最初からそこにないよな…これは映画であって、映画ではないよな、ラブライブという巨大なコンテンツそのものをまとめただけだよなと思うのでした。

 

 実際、ファンのレスポンスがよかったシークエンスのサービスカットがやたら多いです。トランプネタとかまきちゃんにこちゃんネタとかそのへんとか。

 

 とはいえ、唯一劇場版ならではという優れたシークエンスがあります。ラブライブ!がモデルとしていた作品に海外ドラマの学園ミュージカルドラマの傑作「gree」があります。あの作品で魅力的なシーンは日常芝居からそのままミュージカルシーンに入ることでした。

 

 ラブライブ!では2期の1話でほのかちゃんがいきなりミュージカルやりだすシーンがあるのですが、さすがにTV放映版ではなかなか難しいのかそれっきりでした。ところが劇場版では日常芝居シーンからそのままミュージカルシーンに入るシークエンスがふんだんに織り込まれています。りんちゃんが突然夜のアメリカで歌いだす!3年生組が唐突なファンをかわすように歌いだす!映画的にはこれがベストでしたね。

 

 「けいおん」がザ・フーなどなどイギリスのバンドをフィーチャーしたデザインをやってロンドンに行ったように、ラブライブ!も元ネタ巡礼みたいな意味でアメリカに行ったって感じします。これ「映画になるくらい人気が出たから、モデルにした作品のある国に旅行」てミーハー構図だとしたらなんだか日本っぽいですよね。布袋寅泰からつんく♂などなど「自分が影響を受けたデヴィッド・ボウイビートルズのスタジオで録音」みたいなさ。

 

 というわけで映画的な見どころはわずかです。歴史には残らず忘れ去られる出来です。なのに(今この時点で見て)面白いと感じるのは、ひとえに企画の当初から続くファンとコンテンツのやりとりで作られていった拡大ぶりのドラマが、紅白の舞台にまで届いてしまった現実そのものを作品が先行してやってることです。

 

 いま日本商業アニメーションでヒットを飛ばすのに、実質的に映像作品単体で成立させるというケースはまれではないでしょうか。あまりシナリオや世界観にディテールを詰めず、声優によるライブやCDによる展開、ゲーム化などなどメディアミックスを主に拡大させるというのは20年前からです。

 

 しかしファンのほうが自分たちでライブやCD、そしてアニメや映画さえも作品世界の一部とし、創発的にコンテンツの世界観を思い描いて遊んでいくというのがここのところ目立つのではないでしょうか。とくにアイドルネタでは。

 

 だからアニメや映画単体で物語性がない、キャラクターの内面も掘り下げもないというのはそれはそうなんです。 *1ファンのほうでCDから声優の活動。ほかのファンの二次創作込みでコンテンツ全体でドラマを見だしているから。しかしこういう手法はものすごくコストも時間もかかるのは予想できます。死屍累々も多そうです。ラブライブも今日までに5年もかかってますね。京アニもヒット作は考えてみればメディアミックスを多様化し、ファン自身が遊べる隙を作ってたんですが、近年は映像作品単体で完結できるようにしてます。

 

 コンテンツ全体で導き出している物語性て考えると重層的なんですよ。それは声優の経歴にさえ含んでいます。もはや先行きが危ういキャリアの歌手やグラビアアイドルが掴んだ仕事という泥臭い背景で、それをファンが参加して拡大していくような企画から飛躍していきました。

 

 それだけならアイマスなんかもそうなんだと思いますが、紅白にまでたどり着き、そして解散するなんて展開までいったのは空前ではないでしょうか。吉田豪がインタビューしないのが不思議なぐらいですよ。「最高に人気が拡大したとき、解散する」という映画はこのコンテンツの最終章を意味するものではなく、むしろ現実の展開での最終章の幕開けだったのですね。

 

 紅白前に見たことでむしろコンテンツ全体のドラマ性の瞬間最大風速を見た気がしなくもないです。そしてμ’sが終わったとき、この映画はみるみるうちに陳腐化してしまうでしょう。この時点で観れてよかった。でも映像単体で完結することに美を感じている側からすると悲しいことも少しある。野暮ですね。いつものように。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、来年にお会いしましょう。

 

 

*1:映像作品や音楽作品単体での評価よりも、コンテンツ全体での評価を目的にしてる点やファン参加を意識的にしてる点においてAKBに重なる