今回はちょっとした総集編といいますか、しょうもない話に繋げます。
7月4日から放映されているとあるアニメがあるんですが、(UHFアニメ系では)現実のメディアとそれに関わる世論をネタにするのはコンセプチュアルだねデザインに気を使っているねと思っていました。しかしそのコンセプトもモチーフもある意味では陳腐ではないか…という気分はありました。ところが現実に即した内容をどうあれやっているゆえか、ある事態とのシンクロが起きてしまいました。
そう同じ7月の24日に発表された2020年東京五輪のエンブレムとその世論の動き、そして取り下げに至る今までの顛末とのシンクロです。アニメは正直陳腐な部分はぬぐえません。ところが現実が遥かに陳腐というシンクロニティを見せたことで、例えるのは違うかもしれませんがオウム~地下鉄サリンごろのエヴァ並にある種リアルタイムで眺める価値が出てきてしまいました。
ただエヴァとオウムの90年代シンクロの殺伐さや自己言及の鬼気迫るそれと全く違うのは、このアニメと進行してる現実があんまりにもキッチュで陳腐であることです。というわけでまた一つ現れました。瞬間的に熱しすぐさまに忘れ去られ、次なる瞬間に繋げるための礎です。
ガッチャマンクラウズインサイト #09 視聴フル
さてそのアニメとは日本テレビ系の深夜放映されている「ガッチャマンクラウズインサイト」です。ガッチャマンの冠を受け継いだこの最新作は奇妙です。戦うべき宇宙人は一応いるのですが、メインに据えられているのはTwitterやアメーバピグをモデルにしたSNS「GALAX」です。これに人々がアクセスすることで実体化したクラウズとして活動させることができ、ひとりひとりのネットでの関わりを使い「その力で世界をアップデートさせる」ことを目的としていました。しかし当然破綻は起き、主人公たちはそれと闘っていきます。
今作はその第2期として放映されているのですが、コンセプトはSNSというモチーフではなく、その奥のとらえどころのないテーマに入っています。キチガイかシニカルかわからないながらも意味深いのは宇宙船が新潟に不時着するみたいなスペクタクルがあるにも拘らず世間はまったく驚いていない。世間のリアリティのウェイトがかかっているのはテレビや、スマートフォンを通じてアクセスしているメディアとその気分そのものです。冒頭に登場する宇宙人ゲルサドラ人々の気分を可視化する能力を持ち、マスメディアにてタレントとして登場していきます。
序盤こそ前作を引き継いだ悪のクラウズらしきものを使う悪役との戦いが起きるのですが早々に決着が付きます。その後に「やはりクラウズは危険ではないか」という流れが生まれた中、ウッチャンの「LIFE!」内の宇宙人首相のコント張りに次の首相を選ぶスマホ選挙が起こります。メディアで物珍しい存在のこの宇宙人はわざとらしく善行をカメラの前で見せつけ世論を味方にし、首相の座へ。極端にカリカチュアしており半分コントみたいです。
さて世間の気分が移り変わっていく状況を描くシーンに入った8月あたりから嫌げな感じで現実とシンクロするかのような事態が起きます。五輪エンブレム問題です。発表されたエンブレムは東京のTをかたどっており、「日本の和」の印象は黒・白・赤・金・銀の配色で表しました。後にあのスタイルのタイポグラフィが用意されていました、1964年の東京五輪のデザインを手がけた亀倉雄策デザインも暗に含んだ繊細な仕上がりでした。だがベルギーから盗作ではないかというクレームが付き、そこから異様なまでの佐野研二郎氏への過去の仕事までもネットを中心に盗作かどうかを掻き荒らされました。
前段階として水面下でくすぶる東京オリンピックに乗れない気分、そして新国立競技場のデザインと建設費用への物言いが続いた中でオリンピックへのヘイトは増加、その中でのエンブレム問題は、パクリの糾弾というゴミに目鼻がくっついた程度の人間でもアクセスできるフックが出来てしまったことで、事態は拡大しました。
宇宙人首相編に突入してからは世間が徐々に歪な方向へ動くこと状況が主体となっています。危害が目に見えないために全くと言っていいほど主人公たちガッチャマンは動くことができません。一切の戦闘さえ行えず、バーベキューやったりしています。ところが事態は穏やかな方向に終わりません。思わぬ方向へ崩れていきます。ゲルサドラが発現させた人々の感情や気分を示す吹き出しから、世論の気分から外れる対象を消していくトリコロールカラーの化物が登場します。ところがこれでも主人公は動けない。一見化物は善意の行動をとるため、やはり危害が目に見えず、世論から印象が悪くなるため攻撃できません。
現在9話までの放映が終了しており、遂に世論から排除されつつあるガッチャマン勢がゲルセドラ&正体の無い相手と激突する展開に入っています。同時進行でもはやどうしようもない東京オリンピックへのアンチの気分はザハ・ハディドのデザインによる新国立競技場のゴタゴタの批判からから極めてコンセプチュアルな五輪エンブレムのデザインに飛び火し、文脈まで踏まえた審美性の議論は「一見して気持ちいい見た目かどうか」レベルで終わり完全に吐き捨てられました。盗作うんぬんの権利関係というレベルで終了したどころか、なんと今度はあまりにも稚拙な何が盗作かどうかをあら捜しする気分に流れております。
もはやクリエイティブの真実も真理も、本質的には盗作かどうかさえも世論はどうでもいいことは確かです。根底にはオリンピックのプロジェクトの奥にある国の事業への信頼の無さや反感という気分がこの事態の原動力じゃあないんでしょうか。
宇宙人が首相にってことよりも、「日本の空気や気分それ自体が敵」というテーマを作中で明言している時点でキッチュでキチガイじみた皮肉なコントみたいな作品ですが、笑えないのはオリンピックの五輪エンブレムはじめデザインのゴタゴタを代表にすでに進行しているネットからマスメディアまで含めた現実の世論の動き自体キッチュでキチガイじみていることです。
この誰も得をしないキッチュさと陳腐さ渦巻く作品が、奇しくも同じ時期に起きたリアルとシンクロして味わい深くなっております。とりあえず残り数話で終了に向かうでしょうが、その陳腐なの現実とのシンクロは途中乗車でも生々しく響くでしょう。観たアニメは忘れましょう。でも培った技術とモードはそのままに、次回にお会いしましょう。