17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード

葛西祝によるアニメーションについてのテキスト

伊藤計劃「虐殺器官」「ハーモニー」アニメデザインは早くも地獄(ちょっと追記)

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虐殺器官&ハーモニー トレーラー 視聴フル 

 また一つ現れました。すぐさまに熱し灰と石と化し積まれゆき、次なる瞬間に繋げるための礎です。

 

 「ゼロ年代と呼ばれるものにろくなものはなかった、なるべく近づかないようにしようと思った」とどなたかが語っていましたし、実際ろくなものがないんですが、そんな中でも日本のSF小説で「虐殺器官」の完成度に関してはゼロ年代最高と呼ばれる俗な言い方に反論するものはそこまで見当たりません。すいません。適当言いました。探していないだけです。やっぱゼロ年代どうでもいい!

 

 しかしどうあれ、伊藤計劃は続く「ハーモニー」をリリースしたのちに急逝。驚異的な完成度の高い作品を生みだしながら、期待が高まる瞬間に亡くなってしまったことで必要以上なまでに彼の作品はある種の神格化が為されることは免れえませんでした。よく見かける伊藤計劃以後や以前という区分が文脈として正しいのか、はたまた出版サイドの商業的なコピーなのかは外野ではわかりません。

 

 とはいえ、ハヤカワSFのアニメ化、しかも劇場版というケースは冲方丁の「マルドゥック・スクランブル」以来(ごめんやっぱ知らん 他にもあるのだとは思うが)ではないか?ということも確かです。だがしかし、よくあるアニメ絵のモードに沿ったラノベイラストもしくは少年/少女マンガなどなどのベースのヴィジョンを持たないSF小説がアニメになる際の、日本の商業アニメとの相当に深いデザインの溝を「虐殺器官」のトレーラーの時点で感じます。

 

 「マルドゥック・スクランブル」のアニメ版のヴィジョンは見ての通り、押井守プロダクションIG攻殻機動隊のデザインを追従しています。この小説のメインアートは日本のイラストレーターの代表格である寺田克也。これもかつて「Blood」にてプロダクションIGで組んでいました。

 

 士郎正宗の原作のデザイン自体は日本商業アニメのモードに沿っていたのですが、押井&プロダクションIGのデザインは90年代当時では一枚上のレイヤーであるリアリスティックで実写映画のような切り口で捉えていました。もともとがブレードランナーのビジョンに追従しているそれではあるんですが、どうあれサイバーパンクやハードSFをアニメで立ち上げる際のビジョンを打ち立てたことには違いないのでしょう。

 

 

 

 「虐殺器官」はプロダクションIGあたりが打ち立てたハードSFのデザインをまんま追従しているかのようです。しかし時を経て現在。すでに劇画的・実写映画的なデザインがありきたりなアニメデザインの一歩上を行く方法ではなくなり、セルルック3Dの台頭、京アニシャフトから「ローリングガールズ」なんか見てても商業の前線のデザインは複合化しております。


 すでにプロダクションIGも「PHYCHOーPASS」で過去の貯金を今の客の味に合わせて使っている時代、原作が先鋭的なはずのハヤカワSFが2世代前のアニメデザインの構造を利用していると言う構図は不憫であるし、また原作の時点でアートがある程度確定しているためそれをアレンジできるラノベマンガゲーム原作の映像化との距離もまた遠いです。それを思うと実写映画ですがハリウッドが映画化したAll You Need Is Killはなんか皮肉ですよ。

 

 現行のSFアニメのビジョンではポリゴンピクチュアズのセルルック3Dアニメ「シドニアの騎士」が最もよい落としどころなのではないかと思っていますが、しかし「虐殺器官」の映像化ということでもっと困難極まる問題があり、それは作中のある要素の事です。

 

虐殺器官」を映像化する際の最大の難点

 

 

 そう作中の最重要人物ジョン・ポールが見出した、内戦を引き起こす”虐殺の文法”のことです。作中のロジックでは「人類にはを虐殺に導く器官がありそれを覚醒させる方法」ということになっています。しかし実際に小説を読み進めているところ、このファクターは単なる魔法だとかSF的意匠だというそれではなく、言語に注目したそれはある意味では小説でしか成立しない何かを込めているのではないか、ある種メタフィクション的なそれは入っているのではないかとぼくは見ています。


 構築された具象的な世界観のなかで、虐殺の文法はもっとも抽象的なファクターです。この最重要部分を単に人間が戦争を起こす魔法扱いの解釈で終わると、一気に陳腐化します。

 

 かつて徹底して未来世界や架空の世界を具体的に構築・描写しながらなお最終的に抽象的な領域そして映像に突入した作品はやっぱもう、これも実写ですが「2001年宇宙の旅」でしょう。これくらいやれとは思ってはいないですが、しかし原作にはそのポテンシャルは存分にあります。ぼく個人は原作が何か小説(言語)でしか得られない抽象的な領域に踏み込んでいる以上、アニメはアニメでしか成立しない抽象的な何かで応えることがあればと思います。ここで突然水江未来も一部起用するみたいなことが起きたら僕だけ喜びますが…

 

teenssexandwarmode.hatenablog.com

 

 

 

 伊藤計劃が残した作品はいまもいろんな人たちに取り沙汰されているようです。しかし日本SFの文脈なのか商業なのかわからない「以前/以後」だとか、今回のハヤカワSFの映像化と日本商業アニメとのメディアミックスとデザインの距離、よく考えたら結局フジテレビのノイタミナが真っ先に食いついている構図などなど、神格化の現実は祭り建てるそれとハイエナが食らいつくそれとが曖昧になっているかのように映ります。これから観られるアニメは記憶されるでしょうか?技術とモードは無事に培われるでしょうか?

 

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 

 

追記

  なんと水江未来さんから反応があり恐縮することしきり…インディペンデントアニメーション作家が 商業長編アニメーションと関わるケースはすでにあるようです。ぼく個人としては今庵野秀明のカラー主催の日本アニメ(ーター)見本市など商業サイドの試験的短編が行われている中、何らかの形でインディペンデントアニメが絡むことが起きると面白いんですが…

 新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクターを担当する、世界のインディペンデントアニメーションに詳しい土井伸彰さんの紹介ですが、海外ではそうした試みを行った新作は出てきているようです。